「引き出しがない!」
仏壇屋のお客さんはお年寄りがほとんど。認知症の人も少なくなかった。
ボケるのはある程度は仕方のないことだが、相手にするのは大変つらいものがあった。
ある日、店長がクレームの電話を受けたそうで、「ちょっと行ってきて」と何故か私に回された。
内容を聞くと「なに言ってるかさっぱりわからんかったけど、めちゃくちゃ怒ってたのは確実」とのこと。こういうのが一番怖い。
一応そのお客さんの購入履歴を調べてみるが、記録にはない。おそらく他の仏壇屋で買って、勘違いしてこちらに電話してきたんだろう。
イヤイヤながら急いで車を走らせ、おそるおそるインターホンを押してみると、おばあちゃんが出てきた。話し方はしっかりしていて、それほど怒っているようには見えなかった。
中に入って見てみると、仏壇の引き出しがひとつだけない。空洞になっている。
「引出しがないんです。最初からなかったと思います」とおばあちゃんは言った。
「いつ購入されたんですか?」
「20年前くらいです」
おばあちゃんいわく、20年前からずっとなかったと言う。
「さ、最初からなかったんですか?」
「そうや! 何回言わせんねん!」
おばあちゃん急にブチ切れる。「汚い商売やな!」
最初からない、というのはありえない。さすがに納品した仏壇屋も引き出しがなかったら気づくだろう。仮になかったとしても、なぜ20年経ったこのタイミングでクレームを入れてくるのか。
「最初からなかったというのは、おそらく考えられません。どこかに引き出しをしまっている、というのはありませんか?」
「ない! 最初からない!」
なにを聞いても、「最初からない」なのだ。おばあちゃんはさらにまくしたてる。
「あなたの店でいっつもお線香とか買わせてもらってるんですよ。このお仏壇も何百万としたんです」おばあちゃんは涙声になった。「あんたなんやの! 新人かなんか知らんけど、社長に聞いてみい! 高かったんやでこの仏壇」
この仏壇はウチの店のものではないのだが、おばあちゃんがこう言っている以上「よその仏壇です」なんて言えない。さらにブチ切れるだけだ。
ここで押し問答しても、埒があかないので、電話して先輩の土井さんに来てもらうことになった。
土井さんはウソをついたり、できもしないことを勝手に約束して、相手をやり込めるのが非常にうまい。人間として最低なのだが、こういう人こそ出世する。社長のお気に入り社員である。
結果、土井さんの説得(ウソ)で、納得してもらえたのだが、内容はこうだ。
「おばあちゃん。オレ、新しい引き出し持ってくるよ」
「本当?」
「うん。でもね、おばあちゃん。この仏壇は型が古いから、今作ってないんだよ。だから、同じような引き出しを作れる人を探して、作ってもらうから」
「すごい。ありがとう」
「でも、『いつまでに』っていう約束はできない。探すのは大変だから」
「はぁぁぁ。ありがとう。ありがとうございます。ナンマイダ~」
こんな感じだった。でもこれ、ウソである。引き出しだけ作れないこともないが、めちゃくちゃ金がかかる。ヨソの仏壇の引き出しをタダで作るなんて、社長が許すワケがない。
なので、引き出しのサイズとか全く測らずに帰ってきた。土井さんも作る気ゼロなのである。
「あんなこと言って大丈夫なんですか?」私は心配になって訊いてみた。
「まあ、廃棄する仏壇の中にいいのがあったら、持ってくよ」先輩はこんなこと言ってるが、これもウソだ。私にも平気でウソをつく。これが私の先輩、土井さんだ。
一週間後、おばあちゃんの息子から電話があった。「引き出しが押し入れから出てきました」とのことだった。
このように認知症の人はめちゃくちゃなことを言ってくる。私をダマそうと、ワザとめちゃくちゃなこと言ってくる人はいるが、そのような人には毅然と対応する。
でも、認知症の人にはどう言えばいいのかわからない。土井さんいわく、「ウソでも言って、その場を切り抜けるしかない」とのことだった。
「誠心誠意」「正直一番」などという、綺麗ごとだけでは解決できないこともある。おばあちゃんにはウソをついたけど、納得してくれたし、安心してくれた。ウソをつくことで、おばあちゃんと店、どちらも助かったのだ。
口を開けばウソばかりの土井さんが、うまく行っている理由が少しわかる気がした。
働きたくないんです。