めっちゃ足の速いオッサン

 私は足が速い。100mが11秒とか、そんなレベルではない。2秒ちょっとくらいだ。
 この人間離れした能力は今から2年前、私が38歳の時に急に開花した。ある日、遅刻しそうだったから、走ってみたら、すごく速かったのだ。

 無事遅刻せずに済んだが、途中で通勤途中のサラリーマンを突き飛ばしてしまい、全治3ヶ月の大けがを負わせてしまった。幸いにもそのサラリーマンは「なにかよくわからないが、すごい風がしたと思った瞬間、気を失っていた」と何もわかっていない様子で、この事件は迷宮入りし、「透明人間」みたいな話で半ば都市伝説となった。正体は透明人間ではなく、すごく速いオッサンなのだが。

 私はこの能力を活かせないまま、普通のサラリーマンを続けている。ただ、ひとつ問題がある。
 「ちょっと持田君、また昼ごはんお願いするよ」部長がパソコンから顔を上げずに言った。「あと10分で出ないといけないから、2分で戻ってきてね」
 「あ、ついでにボクも同じのお願いします」部下の上田が遠くのデスクで言った。
 皆、私の足をいいように使ってくるのだ。

 3km先の店に売っている鳥そぼろ弁当は大人気ですぐに売り切れるのだが、私の足を使えば、売り切れる前に買うことができる。
 「は、はい。わかりました」返事を済ますと、私はすぐさま走り出した。
 景色がどんどん流れていく。人を避けるのが大変なのだが、毎日のことだから、すぐに慣れた。

 この足はパシリに使われるだけではない。外回りもこの足でさせられる。車よりずっと速いからだ。そのせいで一日の訪問ノルマが他の人より10件も多い。
 通勤もこの足のおかげで、普通なら電車を乗り継いで1時間かかるところを5分くらいで来られる。便利でいいのだが、交通費が出ない。

 皆、私がまったく疲労を感じないと勘違いしている。そんなわけはない。あまりに速いため走っている時間は少なくて済むが、その分すごく疲れるのだ。通勤は5分だが、フルマラソンぐらいの距離を走っているので、かなり疲れる。

 こうやって鳥そぼろ弁当を買に行くのも2分とかからないが、足がガクガクだし、息も切れる。毎回汗だくで戻ってきた私の姿を見て、部長や上田はなんとも思わないのだろうか。
 「はあっはあっ、……鳥そぼろ弁当買ってきました…はあ、はあ」
 「ごくろうさん。ハイ、お金」部長が金を渡してくる。まるで10m先の自動販売機からジュースを買ってきた人に渡すような気軽さだ。
 「持田さん。お金は机に置いてありますんで」上田に関してはお礼もなしだ。

 イライラしながら昼ごはんを済ませた後、外回りの準備をしていると、経理の渡辺さんが経費の件で声をかけてきた。
 「ちょっと持田さん、この電車はどういう理由があって乗ったの?」分厚いメガネをクイッと上げながら、渡辺さんは言った。「ちょっと説明してちょうだい」
 「え、え、あの~吉田工業さんからちょっと持ち帰るものがありまして、走って帰るのもなんですから、電車で帰りました」
 「持ち帰るものって、この前の部品のこと?あんなの手に持って走れるじゃない」
 「い、いや、やっぱり走っている最中に落としたら大変だと思って…」
 「そうね。まあ今回は経費にするけど、今度からは気をつけてほしいわ。走ることに支障がないサイズの物なら手に持って走って帰ること。いいわね?」
 「は、はい…。わかりました」
 本当に腑に落ちない。皆、車や電車でのんびり移動してるのに、足が速いってだけでなんで、私だけ苦労しないといけないんだ。

 またもやイライラしながら、事務所から出ては見たが、どうもやる気にならない。ちょっとコンビニで立ち読みでもするか。
 コンビニにフラフラと歩いて行くと、中から勢いよく男が飛び出してきた。その後、続いて店員らしき人が叫んだ。「強盗です!誰か!捕まえてください!」
 強盗は住宅街の方へ逃げて行った。そこそこ足が速いみたいだが、私なら余裕で追いつけるだろう。どうする?

 足が震え出した。アイツ、たしか刃物持ってたよなぁ。追いついた後、刺されたらどうしよう。もう今から追いかけても、あの入り組んだ住宅街だともう見つけられないかも。
 やっぱりやめとこう。違うコンビニで立ち読みだ。私は普通のサラリーマンであって、スーパーヒーローじゃない。

 以前はこの能力で悪いヤツをやっつけようと、アメリカンヒーローのコミックを読み漁り、マスクを自作するまでに至ったが、ヒーローならではの葛藤や苦悩があることがわかり、大変そうなのでやめた。私は昔から根性がないのだ。

 やっと20件のノルマが終わった。クタクタだ。電車で帰ろうかな…。いや、ダメだ。さっき渡辺さんに怒られたばっかりじゃないか。走って帰らないと。
 いや、ちょっと待てよ。なんで皆より件数を廻っている私がこんなしんどい思いをしないといけないのだ。家にすぐに帰れるから、残業時間も他の人よりずっと多い。皆より頑張っているんだから、ちょっとくらい楽させてくれてもいいじゃないか。

 営業車を使わせてもらえるように言おう。交通費だって社員ならもらって当たり前だ。
 でも、やっぱりやめとこうかな…。まあ最近メタボ気味で走ったらよい運動にもなるし、仕事しながらダイエットなんて、一石二鳥じゃないか。うん、やめとこう。

 いや、私は今までもっともらしい理由をつけて、嫌なことから逃げてきた。その結果、役に立つハズのこの能力で損しかしてないじゃないか。
 そうだ。私はスーパーヒーローが持ってもおかしくない能力を持っているのだ。交通費や経費を請求するぐらいなんだって言うんだ。

 会社に戻った私は震える足を抑えながら、部長のもとへ行った。
 「え、え、営業車をですね…使わせていただきたいのですが…」
 「え?いやいやダメだよ」部長はパソコンの画面を見つめながら、ぶっきらぼうに言った。「キミ、車よりよっぽど速いその足があるじゃない」
 「た、確かに車より速いんですが、疲労という点で言いますと、他の人とは変わりがな、ないんです」私は勇気を振り絞って行った。「ほ、他の人が車で移動しているのに、私だけ徒歩なのは、ふ、ふ、不公平です」
 「まあ、そうは言ってもねえ…。持田さんは他の人の二倍廻ってノルマギリギリなの、わかってる?」部長は呆れるように言った。「営業車使ってもいいけど、訪問件数が減らして今の成績維持できるの?」
 「…………は、はい」
 「『はい』って言うけど、できないでしょう。訪問ノルマは他の人の倍だけど、売上ノルマに関しては皆とほぼ一緒なんだから」
 「……わ、わかりました。失礼しました」
 ダメだった。確かに部長の言うとおりだ。私の訪問件数は誰よりも多いけど、成績は普通なのだ。外回りは今まで通り走って行くしかない。

 営業車はダメだったけど、交通費は別だ。成績関係なく、もらえて当然なのだから。でも、経理の渡辺さん忙しそうだな。今声かけて大丈夫かな。明日にするか。
 と、同時にさっきの強盗が頭に浮かんできた。こんな素晴らしい能力を持っていながら、何もできなかった自分。ヒーローに憧れたけど、何のアクションも起こせなかった自分。こんな情けない自分を変えるんだ。交通費の要求ひとつできないヤツが悪など倒せるか。

 「あ、あの、渡辺さん、今お時間よろしいですか」
 渡辺さんはしばしキーボードを打ち、勢いよくターンッとエンターキーを押した後、こちらへ顔を向けた。「ちょっとだけなら。はい、どうぞ」
 「つ、通勤は電車でさせてもらいたいのですが…」
 「あら、あなたその便利な足があるじゃない。あの距離を5分しかかからないなんて。私なら喜んで走ってくるわ。ほっほっほ」渡辺さんはワザとらしく笑った。
 「い、いえ、時間の問題じゃなくてですね…。や、やはり疲れるのです。毎日あの距離を走ると」
 「そうなの?じゃあ早めに来て、休憩すればいいじゃない」
 「ま、毎日となると、疲労が溜まって、仕事にも支障が出てきてます」
 「支障ねえ…。いつもと変わらず、パッとしない成績じゃないのアナタ」
 「は、はい。すみません…」
 「まあ、いいわ。社長とも相談して考えさせてちょうだい」渡辺さんはそう言うと、またキーボードを打ち始めた。
 「あ、はい。よろしくお願いします」私はホッとして自分のデスクに向かった。

 やった。やっぱり言ってみるもんだ。これで交通費が出たら、毎日走って通勤しなくてもいいんだ。
 私は自分の要求を言うことで大きく成長したように思う。ヒーローになるまでの道のりはまだまだ遠そうだが、少しずつ自分の精神を鍛えていき、悪に立ち向かう強い精神力を手にいれるのだ。この能力で人を救うのはそれからだ。千里の道も一歩から、だ。

#小説 #ショートショート #ビジネス #オッサン

働きたくないんです。