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当たり前

結婚してから、当たり前ってなんだろうと考えることが増えた。

結婚する前は、結婚して、結婚式を挙げ、子どもが生まれ、家を建てて、退職まで働く。
これが当たり前だと思ってた。

しかし、結婚してから、自分が思っていた当たり前が、当たり前のことではないのだということに本当の意味で気づいた。


そのきっかけのひとつが結婚式。
結婚式はコロナ禍の影響もあり、延期を経ての挙式となった。
無事に結婚式を挙げれたこと自体、奇跡だった。
そして、挙げることができたのは、周りの人のおかげだということを改めて実感した。

結婚式ひとつとっても、当たり前なことはなかった。

無事に式を挙げることができたこと。

既に私の両親は他界しており、晴れ姿を見せることは叶わなかった。
自分の結婚式には、両親もいると当たり前のように思っていたが、
父は中学の時に他界し、母は両家の顔合わせをしてから、間もなく他界した。

式場で両親に祝福してもらえること自体、当たり前ではない。
結婚式の終わりの挨拶の時に、両親がもういないのだと改めて実感し、もう少しで泣くところだったのも良い思い出。

何より、自分が当たり前だと思っていることがそうではないと最も強く思ったのが出産だ。

子どもを授かりたいと思った時に調べてみると、必ずしも授かれるものではないということ。
調べた時に不妊には、男性側にも原因があることも往々にしてあるということ。
その情報を見て、自分は大丈夫かな?と不安にもなった。

その分、妻から妊娠したと教えてもらった時、本当に嬉しくて仕方なかった。
しかし、妊娠したから簡単に出産となるわけではない。

妊娠した後は、妻のつわりが始まり、一緒に過ごしている中で、つわりってこんなに辛いものなのかと心底思った。
家事をすることくらいでしか、妻の助けになれないことに歯がゆい気持ちになりながら過ごした。

そして、遂に出産の日。
コロナ禍で立ち会いもできず、1人で出産した妻。
本当に凄いとしか言いようがない。
約10ヶ月間、お腹の中で子どもを守り、身体に大きなダメージを受けながら出産するということが、当たり前なことであろうはずがない。
妻には、感謝してもし切れない。

自分が当たり前だと思っていたことがそうではないと気づいた時、当たり前だと思うことは、凄く恐ろしいことだとも思うようになった。

当たり前なことが当たり前なことではないというのは、多くの人が考えとして持っていると思う。
しかし、私は経験を通じてより強く思うようになった。
また、自分が持っている当たり前だという考えが、他者を傷つける恐れもあるのだという考えにも至った。

自分の当たり前は、他人にとって当たり前じゃないかもしれない。
常にその考えを持って行動していきたい。

妻との出会い、結婚、そして生活は、私に沢山の気づきと成長の機会を与えてくれる。

そんな妻に感謝しながら、これからも当たり前でいて、当たり前ではない日々を、妻と大切に積み重ねていく。

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