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新しい楽しみ

新しいワークショップを開催することにした。現時点では非公開。いずれ少しずつ報告ができるようになればいい。


精鋭、かどうかはまだなんとも言えない少数メンバーで、あることについて、ちょっと思索をつみ重ねてみようと考えている。参加するのは皆、自ら手を挙げた有志たち。手を挙げる勇気と、スケジュールをなんとかやりくりできる気力をあわせ持った、少し奇特な面々だ。


ここはもともと、私が脚本の創作について、あれこれ考えるはずの庭だった。だが今、そのことを一旦置いて、別のことに取り組まざるをえなくなっている。前々回からここに書き残していることに通じる話だ。前回、「『庭から』も本来の趣旨を取り戻す時は近いのではないか」と書いた私だが、一方で、「重要な宿題も浮き彫りになった」私でもあるのだ。ここはいたしかたない。脚本のことは脚本のことで温めつつ、しかし宿題はしっかりと消化しようと決めた。


だが、一人でやるのはあまりに心もとない。ちょっと一人で考え切れるようなことではないようにも思われた。そこで仲間を集めることにした。でもそれだって、「一緒に考えよう!」ではどうしても相手が気負ってしまう。私が相手だと、うまく自分の思いを話せない劇団員もいる。主宰には、本人に威圧する気はなくとも、それなりに萎縮させる力があるものなのだ。さすがにその手の孤独にはもう慣れたはずの私は、ワークショップという形をとることで、気負いを無くせないかと考えた。会議と聞くと辛いことばかり想起しそうだが、ワークショップなら、少しは楽しげな予感もする。


いや、正直なところ、ワークショップの正確な定義を私は知らない。結局のところ「一緒に考えよう!」と、やることは変わらないのかもしれない。だが、ワークショップという言葉を使うと、自然と、対等な関係による思索と試演、という意識が参加者の中に生まれる。ような気がする。いつの間に浸透した言葉か知れないが、近頃は誰もが抵抗なくこの言葉を受け入れるようになった。対等で自由な構築を目指したい私には、大変ありがたい変化だ。集まり自体も、じっくりと進化させていきたい。


では一体何について思索を巡らせるのかということだが、そここそが未公開。参加者の足並みを見ながら、私なりの編集で、少しずつ内容を、全容をお届けしたいと思っている。


前々回、私は、「だから私は、お客様の前で喋ってみるということを、今後企画しようと思っている。劇団のことに限らない。創作のことを、誰も来なくても、きっと喋る。」と書いた。まだどこでどんな風に喋るか、企画は固まっていない。しかし、この『庭から』には、音声や動画の掲載という選択肢がある。アナログ中年の模索は亀の歩みなので、どうなるものとも知れないが、そういう楽しみ方もあるのではないか。おお。なんだ、そういう手もあったかという気分。もしも私が何かを駆使できるようになったなら、その時には、この新しいワークショップのことをお話しすることにもなるだろう。


楽しみだ。勉強が必要だが、勉強自体も楽しみだ。仲間と会って何かを話し、何かに気づけることも楽しみだし、ここで何かを喋り、さらに何かに気づくことも楽しみだ。得たものは、暮しのいろんな局面で活きるだろう。なにしろ演劇も脚本もその他諸々の創作も、われわれの暮しとつながっていないものはないのだから。


今回はずいぶんぼんやりした投稿だがしょうがない。なにからなにまで楽しみなのだ。


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