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わたしとダルちゃんとダルちゃんが読んだ本のこと_#1

人と話すときに手が震え、言葉がうまく出てこない。そうこうしているうちに変な汗が止まらなくなり、余計に焦って悪循環。わかってます。絶対うまく笑えてない。そんな状態からやっと少し、外に出てみてもいいかな、人が集まる場所でも平気かな、と思いたち、しばらくしてから気合いを入れて向かった場所で出会ったのが、はるな檸檬さんの『ダルちゃん』でした。

『伴走者』の浅生鴨さん、『ボクたちはみんな大人になれなかった』の燃え殻さん、”青年失業家”の田中泰延さんという3人の「僕たちが書いてしまう訳」という大阪で行われたトークイベントで、進行役の田中さんからお二人への質問に対する燃え殻さんの答えで耳にしたタイトル。

紹介されたときは「やっぱりいいのかぁ…」とちょうど数日前にどこかで目にしてなんとなく気になる表紙だったことを思い出す。翌日にTwitterで検索した試し読みを読んだあと、すぐに本屋に行ってお迎えした。

全2巻を一気に読み終えて10分ほど涙が止まらず、鼻をかみ、外で読まなくてよかったと落ち着いたあと、しばらくたってまたぶり返してなかなか波が引かなくて、ぼぉっと自分の気持ちに混乱したまま動けなかった。そのあと、もう一度読みなおす気力がわかず、10日ほどたった今もまだ読み返せてはいない。

やっと「大したことないこと」にしておいて、なるべく目につかないようにしていたものが、全然「大したことないこと」にできてないことを思い知って、正直少しショックだったのかもしれない。

好きなものは?って聞かれたときにうまく答えることができなかったり、嫌なことを嫌だ、とはっきり口にできる人を羨ましいと思ったり、まわりからどう見られているかが気になって仕方がなかったり。そういう自分の中に住む”ダルダル星人”が、一生懸命まわりが求める「普通」であろうと「擬態」して、「擬態」していることすら意識しないぐらいその状態が「普通」になるような習性みたいな状態になってしまったあと、「擬態」がなくなってしまったときに途方に暮れるような気持ちと「擬態」しなくても良くなることへの憧れが少しだけ思い当たるような気がして、たまらなくなってしまったのだと思っている。けど、実際のところは自分でもまだ整理しきれていないまま、いつか折り合いがつくのかどうかもわからない。

仕事はそれなりに楽しくやれていた、はずだった。「君はほんと、笑顔がいいよね!気持ちがいい!」と新卒で入った会社の人に褒められたこともあったし、お客さんとの関係も悪くはなかった、と思う。でもあの頃と同じようにできる自信はまだないし、何より他に特筆するところがなく、ただ相手にとって都合が良かった面だけを見て評価された結果だっただけなのかもしれない、と、褒められて素直に喜べる自分はもういないのかもしれない、と思ったりする。

今更「擬態」しつづけることも難しく思えて、かといって「擬態」なしで生身でどうだ!と差し出せるようなものも思いつかない。ダルちゃんにとっての「詩」のようなものが自分にもあるのだろうかと不安になる。でも何もしないよりはマシかもしれない、とTwitterでは追いつかないモヤモヤとしたものをnoteで吐き出してみました。そんな、「わたしとダルちゃん」の話。

もうひとつ、作中でダルちゃんが出会った「灰色の薄い布張りの表紙」の本について書こうと思うので、よろしければお付き合いください。



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