見出し画像

きわダイアローグ15 向井知子 1/3

ホムブロイヒ島美術館での展示に向けて

展覧会 / 演奏
向井知子 / 永田砂知子  
きわ
パビリオン “ラビリンス”、
ホムブロイヒ島美術館、ノイス・ドイツ
展覧会:2024年8月24日-9月1日、10:00 – 19:00
波紋音演奏:2024年8月24日・25日・30日・31日・9月1日、14:00-14:40


///

1. 移動や旅をしなくても、季節の変化がつくられていく

///

向井:現在、わたしが試みているのは、毎日刻々と変わってしまう状況の中で、小さな自然を自宅に取り込み、自分の住処を住みやすくすること、自分の住処の空間をお世話するということをやっています。普通は愛でない、目を向けられないようなものを大切なものとして扱うというか、例えば雑草をガラス瓶に入れたり、自分たちが食したタケノコの皮を乾かしたりしたものを玄関のスペースに飾っています。これは、実はとても人工的な行為です。でも一方で、わたしという人間が生物として、自分の住処を健やかで気持ちのよい場所にするためにやっている、つまり、環境をつくっている。人間が行う行動なので、もちろん人工的なのですが、生態系の一部として環境を形成しているとも言えると思うんです。

――向井さんの言う「自然」って、いわゆる野生としての自然物だけを指しているわけではないじゃないですか。前に話してくださった、都市の中に生態系をつくる虫がいる話にも繋がると思います。

向井:こういったことを、この夏に行うドイツ・インゼル・ホムブロイヒ島美術館の展示でもできたらいいなと考えています。ホムブロイヒは、「自然に並行する芸術(Kunst parallel zur Natur)」を理念とした美術館島です。島となっていますが、海に浮かぶ島ではありません。樹木や草花が生い茂り、川も流れているような、一見自然景観とも思える広大な敷地内に彫刻的なパビリオン建築が点在する美術館です。この自然は、人工的に整備されたもので、「構築された自然」なんですね。その中の一番大きなメイン・パビリオンである「ラビリンス」で、準備期間を含めると約2週間、常に変化しつづける滞在制作の展示を行います。具体的には、2023年の展示「きわにもぐる、きわにはく」でやったことに近いかもしれません。

「きわにもぐる、きわにはく」(2023年)
齋藤彰英(映像)/向井知子(企画構成・テキスト)/鈴木隆史(空間構成)
曹洞宗 東長寺、東京

向井:ホムブロイヒは、この3年の間に点在するパビリオン建築の改修工事を行い、それぞれを自然エネルギーが取り入れられるような建物に整備しました。従来ならば各パビリオンには収蔵品が展示されているのですが、改修工事が終わった今年の6月下旬から9月下旬までの限定された期間には、何も収蔵作品を置かないままそれぞれの空間を公開するんです。また、空間そのものを体験するために「サマー・イン・ラビリンス」というサマープログラムとして、主にパフォーマーや音楽家などの一回性の企画が催されます。わたしたちの企画もその一環として、パビリオン「ラビリンス」で公開されます。

パビリオン「ラビリンス」、ホムブロイヒ島美術館、ノイス・ドイツ

Museum Insel Hombroich, Erwin Heerich, Labyrinth, 1985-88

© VG Bild-Kunst, Bonn 2024 / Foto: Stiftung Insel Hombroich

向井:昨年の東長寺での「きわにもぐる、きわにはく」では日本語のテキストを出力した用紙に石を置いていましたが、今回はドイツ語のテキストを出力した上に、ホムブロイヒの敷地内で摘んだり拾ったりしたものを置こうかと思っています。それから、2021年の「きわにたつ」でご一緒した永田砂知子さんに、今回は「ラビリンス」の中で波紋音を演奏していただく予定です。ただ、永田さんにはいわゆる波紋音のパフォーマンスだけでなく、準備期間中から心の赴くままに敷地内の屋外でもあちこちを移動していただいて、波紋音で遊んでいただこうと思っているんです。わたしはそのあとをついて回って、その痕跡として、周辺から植物を中心に採集しようと考えています。滞在制作中は、わたしたちも敷地内に生きる生きもの。そこに生きる痕跡として、収集した植物やその他の自然物を、「ラビリンス」の中に持っていき、小さな空の小瓶などに生けて、少しずつテキストとともに増やしていきます。永田さんは会期中にテキストと植物が配置された「ラビリンス」の中でも何度かパフォーマンスを行うのですが、様相が移り変わる展示の中で、永田さんのパフォーマンスも変わっていくのではないかなと思います。

それから、今回展示する空間には入口が4つあるので、始めと終わりがなく回遊するような見せ方になるんじゃないかなとも今は考えています。展示空間は「自然」の再現をするのではなくて、人工的です。ただ、人工的ではあっても、作為的ではないものにするつもりです。短い期間ではありますが、この敷地に生息するわたしたちもこの場所と交信し、生息の中心となる「ラビリンス」の空間のために空間を整え、来訪者を迎えるための準備をします。

――紙の上に置くものは植物や石といった自然物にこだわらず、ホムブロイヒに落ちていたものであれば缶や瓶でもいいんですよね。「自然を愛でる」という言葉からは、山に行く、外に出る、日を浴びるといったことをイメージしがちです。でも向井さんご自身は、今、一歩も外に出ない日もあるとおっしゃっていました。そういう生活を送りながら「自然を感じる」「自然を愛でる」ことを、家の中でしているのが不思議だなと思います。

向井:何でもかんでも拾うということは、ちょっと異なるかもしれません。最近、山本三千子*1 先生とおっしゃる室礼(しつらい)の専門家にお会いしたんです。

山本三千子
2016年、三笠書房

向井:室礼とは、日本に古来より伝わるさまざまな年中行事の際に、空間を美しく整える行為のことです。山本先生をお訪ねした際に、「盛る」という行為についてお話をしていただきました。「盛る」というのは「皿」に「成」と書きます。「御盛物(おもりもの)」という言葉は、成しえるようにという「願いの心」と、成しえた後の「感謝の心」をお皿に盛ることだそうなんです。お話を伺って、それは、心を盛ることによって、その場所自体が何かになったり、その場所で何かが生じたりすることだと、わたしは感じました。盛物を通して、季節や行事ごとに、また日々の中に、何かが生成されているわけです。

――なるほど。向井さんが展示のときに使用する紙も、植物や石を置くことによってただの紙ではなくなるということですね。テキストが書いてあるとはいっても、ただ机の上に書いてある書類とは価値が変わってくるじゃないですか。

向井:そうですね。テキストが書いてあったり、何かを置いたりすることで、ただの紙ではなくなりますし、また物にとっては一枚紙を敷くだけで、盛物に近い存在になるのかなと思っています。それによって、移動や旅をしなくても、季節の変化がつくられていく。そもそも、今住んでいるこの家は、昔から母が季節の空間をつくってくれていた場所なんです。母は特別なことをするわけではなかったですが、とてもセンスよく庭や家の周りの小さな花や草、木の枝の葉などを生け、季節の行事も大切にしていましたので、それもわたしの原体験としてあります。今、家の中では玄関からの廊下の床を実験スペースとして使っています。冒頭で話した場所はここのことですね。

自宅玄関での実験

――確かに、そうすることで単なる場所が道になっている感じはします。空間のイメージがそこに生成されるというのは、何かを置くことで「ものが増えたな」と思わせたり、逆に「すっきりしたな」と印象を与えたりすることなんですね。

向井:確かに道をつくっているのかもしれません。日本のお庭も道をつくっていますしね。それはいわゆるその上を通れる道というだけでなく、ものごとの流れが通っていく道でもあると思います。実際に置いているのは玄関ですが、この家自体を実験の場所として、環境が刻々と変わっていくのが目に見えるよう、肌で感じられるようにしているんです。家は、季節ごとの美しさのインターフェースだなと思っています。家が呼吸しているとはよく言いますが、環境も呼吸をしているんです。

玄関の実験スペースに関しては、機能し始めているなと感じています。この場所にいらした方たち、ご覧になった方たちの気持ちがちょっと変わっているのがわかるんですね。芸術関係者でない方たちが多く来てくださるのですが、その方たちも「かわいい」「このおうちにまた来たい」とおっしゃってくださる。壁に生けられた自宅の木の枝を、じっとしばし立ち止まって見たり、床に置かれた雑草やテキストをしゃがんで見てくださったりする方もいらっしゃるくらいです。だから、ホムブロイヒの展示でも、こういう空間づくりができたらいいなと思っています。この玄関の様子も、2023年の東長寺での展示の様子も、ホムブロイヒの理事であり、今回ホムブロイヒでの企画をしてくださったヒルシュさんにお見せして「この方向性はいいですね」と賛同していただいていますので、実際にこの方向性で空間づくりを進めていくつもりです。

実は、わたしは文章を書くことが苦手で、テキストで何かが埋められているなんて考えられないと思っていました。でも、2023年の展示でテキストを使ってみたところ、イメージが開かれているような感じがしたんです。ここで、わたしの制作も一つ大きく変わりました。空間を立ち上げるのに、映像だけじゃなくていい。空間像とはなにか、原点に立ち返るきっかけをもらっているように感じています。

テキストと植物の実験

――内容だけ見ると、エッセイになってしまってもおかしくないようなことも書かれていますよね。でもこぢんまりとした感じはしないのですが、何か意識されたんでしょうか。

向井:気づいたことや事実を書きつつ、感情は載せないようにしています。というより、別に私の気持ちを理解してほしいということは全くないですし、興味もありません。個人的な身の回りのことを書いても、普遍的でオープンに見えるようにしたかったんです。小さな雑草のことも宇宙と繋がっていますし、日々の豊かな移り変わりに対して、それぞれが自分自身の日常の風景に照らし合わせて、想像を巡らせることができればいいと思います。

――ご自宅の玄関でやられていることも、一見個人的なことに思えます。でも、あの玄関はもう少し開かれた感じがします。植物を飾る行為自体は一般的にやられることですが、いらっしゃる方も「ギャラリーみたいですね」「素敵な場所ですね」とおっしゃっていますよね。

向井:先ほどお話しした山本先生はきわというテーマに取り組んでいることに興味を持ってくださったのですが、偶然にも父と祖父の著書をご存知だったんです。しかし、最初はわたしと血縁にあるとはお気づきにならないまま本の中身の話をしてくださいました。ここでいう縁とは、「どういう環境に包まれて育ったか」ではないかと思います。わたしの母は、本当にささやかなことで、晴れやかに家の中を整えていましたから、それを見て育ったことも関係しているのかもしれません。四季折々や日々の変化に合わせて、ささやかに空間を整えていくという人間の行為は、人工的に自分の周辺環境を整え、健やかさをつくっていくことと関係していると思います。

――例えば、展示を見た人がいい気持ちになって、帰りに花を買ってみようかなとか、自分の家も風通しがよくなるように片付けようかなとか、そう思わせることができたらいいですよね。逆に、何かの力で嫌な気持ちにさせることもできるということでしょうか。

向井:時代の厳しい部分に焦点を当てて、商品としてそういったイメージを売っている人もいます。それは刺激になりますし、消費されやすいからです。でも気持ちよく整えるとか、それに触れた人が晴れやかな気分になって元気になるとか、そういう場を形成することの方が必要ですし、努力のいることなんじゃないかと思います。

――美術館で作品を観てショックを受けたり、悲しくなったりする分にはいいですが、その作品が家にあってよいものかと言われるとそうではないですもんね。ホムブロイヒの展示では刺激を与えるものにはしないということでしょうか。

向井:そうですね。もっとミニマルに心が動くようなものになると思います。ドイツの人にとっても見慣れたものを置くことになるのですが、小さいけれども何かを愛おしみ、周辺空間そのもの見渡し、思索する場を形成できればいいなと思っています。

///

*1 山本三千子(やまもとみちこ、1944年〜)
「室礼」の研究家。新潟県生まれ。日本における年中行事や文化を研究する「室礼三千(しつらいさんぜん)」を1995年に設立し、現在でも主宰を務める。多くのカルチャースクール等で講師を歴任し、雑誌、テレビなど幅広く活動している。主な著書に『室礼』『室礼十二ヶ月』(ともに叢文社)など。

///

向井知子(むかいともこ)
きわプロジェクト・クリエイティブディレクター、映像空間演出
日々の暮らしの延長上に、思索の空間づくりを展開。国内外の歴史文化的拠点での映像空間演出、美術館等の映像展示デザイン、舞台の映像制作等に従事。公共空間の演出に、東京国立博物館、谷中「柏湯通り」、防府天満宮、一の坂川(山口)、聖ゲルトゥルトゥ教会(ドイツ)他。

///

▶▶▶次へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?