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きわダイアローグ14 齋藤彰英×鈴木隆史×向井知子 3/6

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3.

言葉をそのまま、どう空間に転写していくのか:  人々が織りなす風景がすごく演劇的である

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向井:写真家には、フィールドワークをするなかで撮った写真から選ぶという行為を大切だとする方が多いと思います。齋藤さんもこれだけいろいろ回って、相当数の写真を撮っているので、そこから何かを見つけていくのかなと思っていたのですが、「全部が決まらないと撮れないんです」とおっしゃっていた。すごく真面目で慎重な方なので、少しでも自分の感覚からズレた話になると、まるで動物のように、不安になって立ち止まり、身じろぎもしない……そんな瞬間に立ち会うことがよくありました。そういったふるまいについて、最初、わたしは、彼がどうなっているのかがわからなかったんです。でも今回の制作にあたり対話を進めていくなかで「感覚的に、僕はベタッとそのもの自体に触れたいんです」とおっしゃったり、真夜中に何時間も川底を撮影したり、石を愛でて思わずふっと笑ったり……。これらはすごく感覚的なことですよね。そういう姿は、わたしが、齋藤さんの写すイメージの中に感じているものと同一だと感じるようになったんです。そして、あるときを境に、人間社会における齋藤彰英という人と接しているというよりは、生態系の一つの命としての写真家に出会っているような感覚になりました。人間というある生命の一つの生命行為として、写真という行為をしているというか。サイエンティフィックにリサーチすることはとても重要ですし、そのなかでわかることもたくさんあります。でも、知識があることと、体験として自分が肌でわかっていることはやっぱり違う。齋藤さんは、公開中のきわダイアローグでも「僕は実はフィルムの写真を大学時代はやっておらず、ずっとデジタルなんです」とお話しされています。写真というと、出力したり紙焼きしたりをイメージしがちですが、今現代の写真行為において必ずしも紙焼きにする必要はない。身体的にカメラを通して捉えた地層や、水から出てくる地形の感覚など、齋藤さん自身が生物としてどう捉えたかということ、生きていくために肌で感じていることといった写真行為は、映像でダイレクトに出したほうがそのものの体験ができるのではないかと感じたんです。

わたしに関しては、そんな齋藤さんとの対話や、鈴木さんとの対話、そしてこれまでのダイアローグパートナーとの対話のなかで考えてきたことを、なるべく自分が見た風景からテキストに起こしていく作業をしました。わからないことも、言葉に直していきました。

今回そうやって、わたしと齋藤さんに関しては、ギリギリまでお互いのズレについて「わからない、相手は何について話しているんだろう」と思いながら制作を進めてきました。最終的にどういう体験の場とするか落としどころがわからないという、かなりオープンな状態で鈴木さんには立ち会っていただき、一緒に考えてもらっています。ここまでどのように構成したか、鈴木さんにも少しお話いただきたいのですが。

鈴木:一応空間構成という名前はついていますが、それほどすごいことをやったわけではありません。見せ方をどうしていくかについての相談を受けた感じですね。僕は本職としては設計をやっており、公共建築、特に文化施設を扱っています。

今回携わることになった経緯としましては、向井さんもおっしゃっていましたが「きわにたつ」「きわにふれる」を観たあとの会話がきっかけとしてあります。公演と同時期に展開していたダイアローグとの関係を、映像に落とし込んでいくことに固執する必要がどこまであるのかを向井さんに聞いてみたんですね。先ほど齋藤さんが「リサーチした情報をもとにモチーフとして……」といったようなお話をされていましたが、向井さんにとってのダイアローグは、モチーフではないような印象があったからです。つまり、いろいろな情報の海を自ら構築していって、そこから掬い取った一つのかけらから映像作品をつくるというのとは、少し違う側面もあるのかなと思ったんです。一方でメディウムとしての映像がもつ、不可避な力ってすごく大きい。プロジェクションとスクリーン、被写体という形式と上演時間に、鑑賞者はどうしても引っ張られてしまいます。なので、そこから一度完全に離れて、ダイアローグでつくっている対話のダイアグラムというか、魅力をそのまま出していく方法はないのかなという話になりました。ダイアローグは、言葉がそのまま示すように、ロゴスを扱っているものです。言葉をそのまま、どう空間に転写していくのか、変換していくのかについて突き詰めた展示があってもいいのではないか。その際の映像は向井さん以外の人がつくってもいいのではないか。そういった話をしたんです。

齋藤さんについては、地質や地層という、単純な被写体以上のものを持っている方だというお話はその頃から伺っていて、とても楽しそうだなという印象をもっていました。もしかしたら一緒に展示をするチャンスがあるのかなということも思っていました。

結論からすると、今回の文由閣の空間に関しては、実は僕は何もやっていません。いろいろなアイデアはありましたが、最終的には何もしないという結論になりましたので、僕は水の苑にしか関わりませんでした。水の苑には向井さんがダイアローグでやってきたことを、テキストなどの何らかの形で展示したい、それから、齋藤さんが文由閣に展示する予定の何かを水の苑にもリンクさせたいというざっくりした話から始まりました。その時点で、この場所のすごくいい空間をどう使うかについては考え始めていました。コンクリート造ではあるけれど、日本建築の空間性をもっているこの場所の、空間の質に寄り添わせたい。しつらいとして展開していくことが重要で、単純に美術作品を寺院に置くという印象にならないようにしたかったんです。台を持ってきてそこに置くという方法は絶対にないなと思っていたので、最初から小さな紙にプリントされたテキストを置いたらどうかなというアイデアはもっていました。結果的には柱の間に、テキストを順番に並べていくということに行きついたので、向井さんにはたくさんの文章を書いてもらうことになりましたね。

齋藤さんの作品の中に、石が紐でぶら下がっていて、逆さに写真を撮っている、すごく美しい写真があるんです。

「きわにもぐる、きわにはく」(2023年)
齋藤彰英
曹洞宗 東長寺 文由閣、東京
記録写真: 矢島泰輔

それを見せていただいている頃に、構想を練っていたので、単純に柱と柱の間にテキストを順番に並べて石を置いていくということに徹しようと考えました。水面にも石がいくつか配置されているのですが、できるだけ水面ギリギリに浮いて見えるように全て組んであります。水中でアクリルの脚を履かせることで、見る角度や光の当たり方によって、本当に浮いているように見えるようなつくりになっています。

柱と柱の間については、建築用語では「柱間」と言います。古建築においては柱間の数を建物の規模を表す単位として使っていました。柱の本数よりも間を扱っていくというのは、わりと象徴的な話ですよね。お配りしたペーパーにも平面図を載せましたが、平面図上での丸柱はドットのようになっています。このように建物の断面を塗りつぶした色面のことを西洋建築用語で「ポシェ」と言うのですが、日本建築のように柱が主たる構造要素となる平面図においては、図像として黒いドットの集合になるんです。「1本の柱を立てるとそこに人が集まり、2本の柱を立てるとその間に間が生まれて、3本、4本と増えていくと、そこが列柱になって人を導いていく」と言われるように、柱は空間が生まれていく始原の歴史の縮図になっています。今回は柱の間に細かく置いた石とテキストは、隣同士だったり、対岸だったりに配置されているテキストと、遠く響き合っている。そんなところが、もともと向井さんのやろうとしていたこととリンクしてくるのかなというイメージはありました。


「きわにもぐる、きわにはく」(2023年)
テキスト:向井知子、空間構成:鈴木隆史、石:齋藤彰英
曹洞宗 東長寺 水の苑、東京
記録写真: 矢島泰輔

そもそも僕は、この水の苑がもともともっている公共性が素晴らしいと思っています。宗教建築の本来もっている公共の場の力が、すごくいい形で今も残っている稀有な場所だと思うからです。古く歴史を見れば、宗教建築こそが公共建築の代表でした。そんな場所において、水の中に自己を投影する場所があるのは、すごくいいなと感じていたので、こういう企画ができて本当によかったです。水の苑ではダイアグラムとの響き合いの面白さに向き合うための、一つの大きな装置ができたんじゃないかなと感じています。実際、展示空間を観覧者が見たり、紙を1枚ずつめくっていったり、と、人々が織りなす風景がすごく演劇的でした。書いてあるテキストがすべて台本のようにも見えたんです。常々僕は、脚本家は芝居において、テキストを書いて池の中に投げるようなものだと思っているのですが、奇遇にもそれにすごく近しい場所ができたかなという思いがあります。

「きわにもぐる、きわにはく」(2023年)
テキスト:向井知子、空間構成:鈴木隆史、石:齋藤彰英
曹洞宗 東長寺 水の苑、東京
記録写真: 矢島泰輔

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冒頭記録写真:矢島泰輔

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