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きわダイアローグ04 芹沢高志×向井知子 1/6

1. 空間自体が、行動を誘う

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向井:前回の対談の際、こういう話もしたい、ああいう話もしたいと思っていたことを、実は意外と早い段階で芹沢さんのほうからお話くださったんです。生命の進化の話や、知覚の話がそうでした。喋りたいと思っていた話のエッセンスが、前回の対談で出せたので、次をやっと始められる感じなのかなと思います。それから、ありがたかったのは、もう一回空間のことについて言葉にできたこと。自分では原点に立ち返っているつもりでも、言葉にしてみると「そういえばあの頃はこんなこと考えていたなあ」と、強く思い返すことができました。

芹沢:昔から考えていたり、大事にしたりしていることは、自分のなかで当たり前になってしまっているというか、沈殿しているような感覚なんだと思います。きっかけがないと、思い出したり、表面に出てきたりしない部分があるんじゃないのかな。普段はわざわざ触れないけれど、自分の思考の一番糧になっているような、底辺部分にあるようなもの。思ってもみない方向から話をして、それに対して答えなければいけないときに、撹拌されるというか、底辺に沈殿しているようなものが、急に湧き上がってくる。話したり、書いたりすることの意味ってたぶん、そういうことなんじゃないかと思います。ときどきそういうふうに、言語化してみたり、人に伝えようとしたりという刺激を与えて、原点に戻るのはすごく重要なことだと思います。

向井:ある空間や場所で映像空間演出を行うとき、わたし自身が何かメッセージを置くことはありません。映像自体は空間が生成される上での構造体であり、かつ媒介に過ぎず、実際に映されているモチーフやコンテンツには実は意味もなくストーリーもない。メッセージやストーリーが生まれるとしたら、それはその空間を体験した人の内側にある。なので、わたし自身は、目の前の空間が内包しているさまざまな潜在性が表出してくるための構造体や媒体に関与しているという感覚です。空間の構造体としての映像、媒体としての映像をその場所に配置していくと、初めて空間の顔がニューッと出てくるような瞬間があるんですね。一つの顔ではなく、役者さんがその度に衣装を変えて舞台に出てきて、艶やかに変化(へんげ)していくなかで、何かの存在を見たと感じるのと同じかもしれません。同様に空間の場合にも原像のようなものがあるのですが、表象としては変容していく空間の姿を眺めている内に、空間の潜在的な可能性として、見えていなかった何かが、降りかかっていると感じる瞬間がある。それと、空間との出会いには、空間の中を物理的に身体を使って動くということ、移動し変化していくものの内に、空間の質の変容をかすかに感じ取っていくというプロセスも大切だと思っているんです。前回も少しお話ししましたが、東長寺・P3の空間には、空間が変わっていくパサージュがあったと感じています。地下への螺旋階段を降り、両端に配置された階段のある踊り場にパッと入ったときに、広がってくる何かがある。そしてその広がる空間には、光に関わるアーティストは多かったと思うのですが、ボワっと変容するように浮かび上がってくる空間の体験がある。蔡國強 *1 も火薬ですし、インゴ・ギュンター *2 やクリスチャン・メラー *3 も光を使用している。それから、ロルフ・ユリウス *4 が本堂と講堂の両方でパフォーマンスや展示した際も、仄かな光の中に残像があり、空間の揺らめきというものがありました。曼荼羅もそうでした。階段を降りてP3のある講堂に入っていくプロセス、水の苑(みずのにわ)の回廊を通って本堂に行くプロセス、移動も含めた空間の体験のなかで、空間の残像や、空間のポテンシャル、そこに存在していて、まだ見えていない気配、といったものをフワーッと陰影で炙り出しているような場所の記憶があるんです。

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「wind」ロルフ・ユリウス
東長寺旧講堂、1991年9月3日〜28日(9月6日 パフォーマンス〈本堂〉)
撮影:Yoshihiro Hagiwara
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「Virtual Cage」クリスチャン・メラー
東長寺旧講堂、1997年5月17日〜28日
撮影:Yoshihiro Hagiwara
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東長寺 水の苑 山門から本堂への回廊
回廊壁には蔡國強の作品が設置されている
撮影:矢島泰輔

芹沢:P3は、地下で窓がなく、ある程度のボリュームがある空間でした。あまり圧迫感はないようにしましたが、電気を消せば、完全な闇になる。そういう意味で光というのは、すごく重要な要素だったなと思います。それに、わりと早い段階で、あのスペースにはキュレーターは必要ないと感じていました。キュレーターが選別する以前に、空間自体が作家を選んでいる。作家のほうでも、あの空間に惚れ込んでくれる人がいて、相性が合うのが一番いいから、それで苦労はしなかったですね。それから、設計の段階から、音の問題についてはすごく気にしました。素材面ではコンクリートの打ちっぱなしがいいかなと思ってはいたものの、反響がまずいだろうと。いい素材はないかと検討していたところ、「サウンドブロック」という、溝がついているブロックを発見したんです。溝の奥に空洞があり、そのなかで音を小さく反射させて減衰させていくという仕組みのもの。それを入れることで、音に関してはかなりクリアになりました。ただ、ブロックに溝があるため、照明が入ると、空間に、強烈な陰影というか縦縞がザーッと入ってくる。ホワイトキューブが周囲の雑音を消して、作品に目を向けさせる平滑さを持っているのに対し、P3はそういうふうにはいかなくなってしまったんですね。どんなに大きく、派手な色彩の絵を持ってこようが、壁が強すぎてしまう。だから、いわゆる絵画展には全く向かないし、彫刻の人たちも、あれくらいの広さだったらやりたいとは言うものの、あのスペースを物質的な意味で埋めようとすると、それもそれで大変というかできない。自分たちがそっちに向かおうという意志以上に、空間自体ができることとできないことを選んでいったんです。結果、音や光と言っていいのか、サウンドインスタレーションやビデオインスタレーション、それから、身体を絡ませるようなパフォーミングアートなどの方向にどんどん進んでいきました。

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「エッセイ 市民の不服従について」 ジョン・ケージ
東長寺旧講堂の全景、1993年4月20日〜8月1日
撮影:Yoshihiro Hagiwara

向井:そういえば、三上晴子 *5さんも展示されていましたね。光やインスタレーションの作品が出始めた時代にちょうど当たっていたんでしょうね。

芹沢:われわれは、最初からジャンルということとほとんど無関係にああいう箱をつくってしまったんです。時期的にも良かったのだと思いますが、メディアアートが生まれ始めた頃の、はみ出してしまって、なんと表現したらいいのかよくわからない、行き場のない作品や作家が多く集まったところはあるんじゃないかな。
三上のことを話すと、あの頃の、なんというか時代の匂いを思い出しますね。彼女がインスタレーションの準備を進めていたある日、階段の踊り場で、深刻な顔をして「相談があるんだけど……」と言ってきたことがあったんです。「もう嫌になっちゃった。全部取り替えてもいいかなあ」と。結局、その展示は少し配置を変えてオープンはしました。しかし、彼女の苦悩はよくわかりました。美貌の女性が溶接機片手に、鉄のジャンクを溶接している様子がアイドル化されるという風潮に、彼女自身は翻弄され、嫌悪もしていた。当時、彼女は心理的にも大変な時期で、疲れ切っていたんでしょう。P3でもICミサイルとか、その頃の彼女のマッシブな世界が展開されましたが、観客の心臓の鼓動を採取して、全体がインタラクティブに脈動するという、新たな試みも切り開いた。物質ではない何か、関係性への興味が生まれてきたのでしょう。そこに自分の今置かれている社会的な状況が重なって、彼女は自らの変容を強く求めたのだと思います。彼女には、P3は特に権威がある場所ではないけれど、何かが始まる瞬間、あるいは終わる瞬間に同席できることを喜びとしていると伝えました。抽象的な言い方ではあるけれど、そこに同席できればやった甲斐はあると。三上はその後アメリカに旅立ち、それまでとは全く違った作品を制作するようになる。彼女が、P3での展示で何かを終わらせたという意味でも、やってよかったと思っています。そういったことを含め、あのP3という物理的な空間自体が、なんらかの恰好で人を選び、なんらかの作用をして、人を変えていくというか、次の行動を誘う力があったと思いますね。

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「Pulse Beats – Information Weapon 3」三上晴子
1990年7月21日〜8月19日
撮影:Yoshihiro Hagiwara

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*1 蔡國強(Cai Guo-Qiang、1957年〜)
中国・泉州生まれの現代美術家。上海演劇学院で舞台美術を学んだのち、1986年から1995年に日本滞在。のちの代表作となる火薬を用いた作品を多数展開する。東洋哲学と社会問題をテーマとし、文化、歴史、社会、自然が呼応するサイトスペシフィックな制作に取り組む。1995年よりニューヨークを拠点に活動。2008年北京オリンピックでは視覚特効芸術監督を務めた。紫禁城創建600年となる2020年、個展を現代作家としてはじめて北京の故宮博物院で開催(2021年2月まで)。東長寺水の苑の回廊壁に作品が常設されている。

*2 インゴ・ギュンター(Ingo Günther、1957年〜)ドイツ出身のアーティスト、ジャーナリスト。民族学と文化人類学を学んだのち、デュッセルドルフ芸術アカデミーにてナム・ジュン・パイクらに師事。1989年から、環境、経済、軍事、政治等の統計データをもとに発光する地球儀上に可視化した作品群「ワールド・プロセッサー」を制作。その他、東欧初の独立テレビ「チャンネルX」、仮想共同体「難民共和国」など、ジャーナリズムとアートのきわに注目したプロジェクトを展開する。現在、ニューヨークを拠点に活動。P3では東長寺旧講堂で4回の展覧会を開催、現在文由閣1階には『Seeing Beyond the Buddha』が常設されている。

*3 クリスチャン・メラー(Christian Moeller、1959年〜)
ドイツ出身のアーティスト、建築家。建築を学んだあと、ギュンター・ベーニッシュの建築事務所に勤務。1990年、メディア理論家でキュレーターのペーター・ヴァイベルに師事し、フランクフルトのシュテーデル・シューレ・ニューメディア研究所に参加する。以後、複合的電子メディア、テクノロジー、建築による相乗効果を用いた大規模なインタラクティブ作品を発表。近年では、手に持てる大きさのオブジェからランドマークになるようなパブリックアートまで多数手掛けている。2001年に渡米、現在カリフォルニア大学ロサンゼルス校デザイン・メディアアート学科教授。

*4 ロルフ・ユリウス
(Rolf Julius、1939年〜2011年)
ドイツ出身のサウンドアートのパイオニア。美術を学んだのち、ラ・モンテ・ヤングなどの現代音楽家に影響を受け、1975年頃から写真などの造形芸術に音を使い始める。1980年にベルリンで先駆的作品「Dike Line」を公開。1983〜84年にはニューヨークに滞在、J・ケージらと交流を深めた。1991年に来日、P3でも展示とパフォーマンスを行なった。音響と造形芸術的な要素を組み合わせた空間を生成し、繊細で詩的なサウンドインスタレーション、オブジェ、パフォーマンスを展開。実験的な作品群「スモール・ミュージック」の制作で知られる。

*5 三上晴子
(みかみせいこ、1961年〜2015年)
アーティスト。1984年から廃棄物を用いた制作を開始し、生体、情報、戦争、ネットワークなどをテーマに大型インスタレーションを展開する。1990年には三部作「Information Weapon」の一つとして、観客の脈拍をインターフェイスとした「Pulse Beats」をP3で公開。1991年渡米、2000年までニューヨークを中心に活動。1990年代中頃より知覚機能をインターフェイスとしたインタラクティブ作品を制作、「Molecular Informatics」「Desire of Codes」などがある。2000年からは多摩美術大学美術学部情報デザイン学科教授を務めた。

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芹沢高志(せりざわたかし)
P3 art and environment統合ディレクター
1989年、P3 art and environmentを設立。現代美術、環境計画分野で数々のプロジェクトを展開。「横浜トリエンナーレ2005」、「混浴温泉世界」、「さいたまトリエンナーレ2016」など、様々な地域のアートプロジェクトに関わる。

向井知子(むかいともこ)

きわプロジェクト・クリエイティブディレクター、映像空間演出
日々の暮らしの延長上に、思索の空間づくりを展開。国内外の歴史文化的拠点での映像空間演出、美術館等の映像展示デザイン、舞台の映像制作等に従事。公共空間の演出に、東京国立博物館、谷中「柏湯通り」、防府天満宮、一の坂川(山口)、聖ゲルトゥルトゥ教会(ドイツ)他。

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