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エクアドルの大学院の話

珍しく「エクアドル在住者の話」みたいな投稿です。私が通ったエクアドルの大学院についてご紹介しようかなと思いました。私は留学生ではないので、留学手続きとかそういう話はできません。
(*トップの写真は合格証を取りに行ったついでに撮ったもの。もっと映える場所で撮ればよかったけど日差しが強くて早く帰りたかったので適当な場所で撮ってしまいました。)

大学の概要とちょっとした歴史

通ったのはUniversidad Andina Simón Bolívar - Sede Ecuadorというキトにある大学。学部(undergrad)はなく、Especialización(専門科?)と修士課程と博士課程用の大学院。Sede Ecuadorは「エクアドル校」的な意味なので、「本校」はどこかというと、ボリビア。ボリビアは学部もあるらしい。でもあまりボリビア校の話は聞かないので、特に2校が連携しているという感じもなさそう。エクアドル校は常時3000人前後の学生が在籍している。

大学名にもなっているSimón Bolívarはアンデス圏を中心に南米をスペインの支配から独立させた、俗にいう英雄である。

そんなエクアドル校は今年で創立29周年を迎えた。まだ比較的若い大学だが、コレア元政権を除いて国内では高評価らしい。コレア政権と犬猿の仲になった理由は、アンディナ大学のヒューマンライツの学科がコレア政権下で起こった様々な人権侵害についてのレポートを発表したことがきっかけ。それにコレア元大統領が激怒し、書き直せと命じたけどもちろん書き直さなかった。その後どうなったかというと、アンディナ大学は国立大学なので、予算の大部分は国から来てる。その予算の支給をコレアは停止し、大学を窮地に追い込もうとした。しかし、運よく初代学長のエンリケ・アヤラが大学のお金を少しずつ資産運用していたおかげで、緊急用の貯蓄があり、なんとかその一年を乗り越えることができた。そうこうしているうちにコレア政権も終わり、大学潰しも鎮火された(コレアはその後、横領が発覚し、ベルギーに逃亡。外国、特に北米では「社会主義」「市民革命」のイメージがついて外国左派から支持されているが、国内では一部のコアな支持者以外にはかなり嫌われている)。当時に在学していた友人などは「潰される前に卒業証書取らなきゃ」と焦ったらしい。

この「潰されるかもしれない」脅威は最近もあった。なぜかというと、実は2021年はエクアドル大統領選だったが、アラウスという若い候補者はコレアの後釜としてグルーミングされていた人で、その人がもし大統領になったら、国会もコレア支持のマジョリティーであったこともあり、再び「アンディナ大学を潰そう作戦」を始めるに違いないという不安が浮上した。しかも、前回のコレアの時は任期の最後の方だったため、時間もなく成功しなかったが、4年もあれば大いに可能である。しかし結果としてはなんとラソという別の候補が勝った。ラソはネオリベラル銀行頭取保守派キリスト教政党からの立候補だったので、望ましい結果ではないが、まぁせめてもの救いとしては、大学が間一髪で危機を回避できたこと(この選挙は候補者を見ると「死に方を決める選挙」だったのでどちらがなっても国民は不安しかない状況だった)。

ある教授の言葉を借りてアンディナ大学を一言でまとめるとしたら「教授や教える内容はリベラル寄りだけど大学の運営トップは保守的」。でもこれは多くの教育機関や組織に関して言えることかもしれない。

どんな大学?

上記でも言ったように、国立なので、国からの予算で大部分を運営している。フルタイムで通うアンデス圏の学生は、大学が出す奨学金制度に申請できる。アンデス圏とはエクアドル、ペルー、ボリビア、コロンビア。かつてはベネズエラも入っていたが、数年前にアンデス国の協定みたいなのから脱退したらしい。

奨学金制度は3通り:
・学費、寮費、保険をカバーしてくれるベカ・コンプレタ(外国や地方から来る学生は大体これを申請する。キト市内在住者も申請できて、通る場合は寮費の代わりに月々の生活費が支給される。)
・学費100%カバーしてくれるベカ・デ・コレヒアトゥーラ(キト市内に住む学生はだいたいこれをもらえる。私もこれだった)
・学費の75%をカバーしてくれるベカ・パルシアル。

私が願書を出して、インタビューに呼ばれた時は面接官に「あなたは永住者だけどアンデス圏の国民じゃないから奨学金を与えるのは原則として難しいかも」と言われたが、そう言われるだろうと予想していたので、用意していたそれまで納めた年金の記録を見せて「国民と変わらず働いて税金も年金も払っているんだから検討ぐらいしてくれてもいいんじゃない。それに、帰化したくても今すぐできないし、その場合は日本国籍を放棄しなければいけないから簡単なことじゃない」的な主張をしたら通った。なんでも言ってみるもんだなと改めて実感した(別に日本国籍を手放すこと自体はなんとも思わないが、エクアドルのパスポートより日本のパスポートの方が渡航制限が遥に少ないので利便性からすると...)。

こうして晴れて学費の負担もなく入学することができた。私は一番留学生っぽい顔なのに留学生じゃないし、やたらキトの土地勘あるし、しかも母語は日本語ではなく英語だと言うから教授やクラスメートなど周りのみんなも最初は「??」って感じだった。ちょっとめんどくさい状況ではあったが、この「あなた何者?」という反応はアメリカでも日本でも散々経験したので慣れていると言っちゃ慣れてる。出入り口にいるセキュリティーのおじさんに「〇〇校舎はどこですか?」と尋ねたら「ここの学生?」と聞かれたので「いや、だからリュック背負って校舎きいてるやないかい」的な返事をしたら(←気性が荒い)驚いていたのでアジア系の学生はもしかしたら大学史上初だったのかもしれない。テク・サポート室でWi-Fiのパスワード聞いたときも似たやりとりをした。

私はArea de Letras y Estudios CulturalesのMaestría de Estudios de la Culturaという、文化学の修士だった。この修士課程はさらに細かく分かれていて、Género(ジェンダー)、Políticas culturales(文化政治学)、Literatura(文学)、Arte y estudios visuales(芸術と視覚研究)という専攻があり、私は最後の芸術と視覚研究だった(噂によると、これらの専攻をそれぞれ独立したプログラムにするらしく、確か文学はすでに今年から独立している)。私の時、この学部は合計35人ほどで、全員フルタイム学生で、一人アメリカ合衆国出身の学生を除いて全員奨学金で来ていた。

一学期は10月に始まり、3学期が終わるのが翌年6月末。これがfase de docenciaというフルタイムの授業期間であり、それを終えたら研究・修論執筆期間(fase de investigación)に入る。留学生はこのタイミングで母国に帰る人もいるが、学生ビザからメルコスールビザという南米国籍の人が利用できる永住用ではないビザに切り替えてもっと滞在する人もいる。少し難しいと感じたのは、7月から修論に集中できる学生は順調に翌年6月までに提出して卒業手続きができるが、仕事に復帰したりしなければいけない学生や子供がいる学生はどうしても研究や執筆が遅れてしまうこと。それを手助けする奨学金もあるが、枠はわずかなので困っている学生全員に支給されるものではない。一応論文提出を2回延長するタイミングがあるので、必要な人は第一研究期間終了間際で3ヶ月延長。さらに時間が必要な人はその後もう3ヶ月延長。ちなみに入学から4年過ぎてしまっても論文が未提出の場合、1授業を履修させられる(理屈としては、知識をアップデートする必要があるから、らしい)。

文化学の卒業条件は研究に基づいた修士論文提出である(奨学生は成績の一定の維持もある)。願書を出す時点である程度研究したい内容を書かされるので、ぼんやりでも修論のテーマはある程度決まっていながらの入学になる。それを少しずつ研いで、どの教授に指導してもらいたいか考えて、指導教官になってもらえないか頼んで、80-100ページの修論を提出する。

文化学学部の特徴かわからないが、教授陣は全員最低でも2言語扱い、3言語扱える教授もざらにいた。今の教授陣たちの学生時代は国内の大学院や博士課程の選択肢が少なかったためみんな一度や二度は外国の大学に留学した経験があるからかもしれない。主に、スペイン語、英語、(ブラジルの)ポルトガル語、ドイツ語ができる教授が多いが、キチュア語を第二言語とする教授やロシア語ができる教授もいた。

学生生活

とにかく勉強漬けだった。私の場合は第三言語での勉強だったので苦労した面もあったが、周りのスペイン語ネイティブでも十分大変そうに見えた。ついていくための工夫として、課題の文献が英訳されていたり、元々英語の文献だった場合、ネットで英語のPDFを探してダウンロードしてそれを読むことでだいぶ時間とメンタルの負担を軽減した。

授業はどの内容も私にとっては初めて聞くことが多く、私がクラスに提供できる視点や知識はアメリカ人が知っているようなことで、そういうのは大体みんな知っているから正直あまり珍しくない。それも南米の大学の特徴なのかなと感じた。もしかしたら非西洋圏のアカデミアでは似た状況があるのかもしれないが、西洋の学者、文献・文学、歴史・時事は非西洋圏でもみんなもちろん知っていて、というかどこかで必ず読まされるので(例えばバトラーとかフーコーとかベンヤミンとか)私以外のみんなはそういう知識に加えて、さらにラ米の学者、文献・文学、歴史・時事も把握していて知識量が半端ない。しかし感心している場合ではなかったので「あとで調べること」を必死にメモって追いつけるように頑張った。

日本ではアメリカで得た知識だけでも生活できてたけど、エクアドルの大学院ではそんなのみんな知っているし、むしろそういう西洋の権威的な知識や国際知識構造を批判的に議論する機会が多かったので良く言えばすごく新鮮な経験(という表現はおかしいかもしれないけど)だった。悪く言えばあまり出る幕がないとも捉えることもできただろうけど。

私はぱっと見日本人なので、あまり素性を知らない教授だと日本ネタを振ってきて動揺することが何回かあった。例えば、ラテン文学の授業で教授が「あ、この作家は日本のオオイ〇〇*に似ているよ」と私にコメントを投げかけたことがある(*オオイ〇〇?オオエ〇〇?なんて言われたのかすら覚えられなかったぐらい知らない日本人作家だった)。内心「え、どうしよう」と思いながら「あーそうですか」みたいに答えてたら私の素性を知っているクラスメートとかはニヤッと笑っていた。隣に座っていた、いろんな国の本に詳しい文学専攻のコロンビア人学生のほうが「うんうん」と先生のコメントに頷いていた。

入学できて本当によかったと思うし、ここで得た学びが稼げる能力と直結していることを最近ヒシヒシ感じるので、「学歴」という話ではなく、新しい「学び」を求める全ての人に教育への充実したアクセスがあってほしいと願う。エクアドルでは教育の不平等が極端な国でもあり、クラスメートたちも奨学金がなければ入学できなかった人ばかり(私も)。だからこそみんな「ここ(大学院)に来れるのは特権(privilege)であって当たり前ではない。それは恵まれた立場であることを自覚しないといけない」と、自由に勉強できることをものすごく感謝していた。「全て自分の努力」と考えている人なんて一人もいないと思う。私も彼らと同感だ。

3学期はコロナで突如バーチャル授業で大変だったが、パソコンを持っていない生徒のためにパソコンを集めて支給したり、バーチャル授業に耐え切れる安定したネット環境が自宅にない学生に寮の空き部屋に泊まることを勧めたり、大学はこの突然で特異な状況の中、できる限りのことをしてくれたと。クラスメートはみんなそれぞれの活動に熱心で、優しくて、とても波長の合う修論指導官とも出会えて感謝でいっぱいである。