見出し画像

イラストの相場

日本で大学に通っていた頃、ザリガニが好きというだけで生物学を専攻していたわけだが、授業にはザリガニのザの字も出てこないどころか、全然興味が無かった植物はまだ良いほうで、化学式となるとビジュアル人間である自分にとってはまったくピンとこない代物だった。研究室で何かの研究に打ち込むという生き方はけっこう性に合っていると思っていたのだが、そのまま生物学を追求する頭脳が無いことに気づいてしまった。

実験のクラスではいつもグループで作業するのだが、当然のことながら自分はでくのぼう的存在で、実験が夜遅くまで及んだときに近所のラーメン屋から中華丼の出前を注文する役くらいしか使い物にならなかったのは苦い思い出である。

しかし、そんな自分にも一つだけクラスメートから頼りにされることがあった。

それはウシガエルを材料にした実験のクラスでのことだった。この実験ではウシガエルの脚の筋肉を取り出して使う必要があった。実験材料として提供されるウシガエルは生きているので、申し訳ないことだがまずはそれを殺さなくてはならない。

それには決まった殺り方があって、苦手な人にとってはなかなか難しいのだ。どういうものかというと、必殺仕事人で三田村邦彦演じる飾り職人の秀よろしく、尖った針金をウシガエルの首の後ろに突き立て、脊髄の中を下方に向かって一気に差し込んでいくのである。そうするとカエルは手足をピンと硬直させて一瞬で死に至る。

病院で注射針がうまく血管を捉えられずに、腕の中をまさぐられることを想像してもらうとわかりやすいが、針金がちゃんと脊髄の中に入らないとカエルがもがき苦しみ辛い思いをさせてしまうのだ。

当時これが上手くできたのは僕しかいなかったので「きゃー、木内くん私のも殺ってーっ!」という具合に次々とウシガエルを持った女性たちからの依頼が殺到したのである。針金を口に咥えた僕は次々と仕事をこなしていった。

唐突だが、それ以外に生物学の才能が無いことを知った僕の心は、イラストレーションに向かって行ったのである。

小学生のときに油絵を習っていたことを除けば、全く美術教育を受けたことがなかったが、そのときいきなりイラストレーターになろうとして出版社に持ち込みを始めたのだった。

今思うと、全くイラストレーションの何たるかを理解していなかった自分の絵であったが、意外と編集者から酷評されることはなかった。編集者は文章の専門家であって、絵の専門家ではなかったからかもしれない。

無謀なことに、大学卒業までの残り二年間くらいのうちに、なんとかしてプロのイラストレーターとしてデビューを果たしたいと考えていた。それが叶わなければ諦めて就職しようと思っていたのだ。

しかし、持ち込み営業の成果は全くゼロで、なかば全てを諦めかけていた頃、ある雑誌の編集部から電話があった。メンズのファッションショー的なイベントの告知ポスターとダイレクトメールのためのイラストを描いてほしいという依頼だった。

とても驚いたが、同時に非常に嬉しく、初めての仕事に緊張しつつもやる気満々で編集部へと足を運んだ。ひととおり打ち合わせを終え、最後に、さて、ギャラですがどのくらいがご希望でしょう?ということになった。

僕にとっては生まれて初めてのイラストの仕事、もちろん相場など知る由もない。ザリガニが好きで生物学を選んだウブな学生である。だいたいこのくらいだろうかという適当な考えのもと、三万円と言おうとして緊張しながら「さ、さ、さ…」と口走りつつあったところ、相手が「三十万でよろしいでしょうか?」と言ったのである。

さ、さ、さんじゅうまん!?僕は心のなかで驚き叫んだのだが、いかにもそのくらいは当然という感じで平静を装って、「まあ、そのくらいでしょうかね」と答えたのであった。

仕事自体は特に問題もなく無事終えることができた。このイベントの告知は雑誌にも掲載されることになっていたので、本当に載るのだろうかと発売日が近くなると何度も本屋へチェックしに行ったことを覚えている。

当時、イラストの仕事はこれ一回限りだった。次の依頼は無かった。

編集者には酷評されることがなかったのだが、後にある雑誌の有名アートディレクターに同じタッチのポートフォリオを見てもらったところ、かなりボロクソに言われてしまった。このときの経験が、アメリカで本格的に絵の勉強をしようと決心するきっかけになったのだった。

ここから先は

0字
定期購読していただくと、ほぼ全ての過去記事が読めるようにいたしました!

25年以上フリーランスのイラストレーターとして生きてきた経験から、考えていることや考えてきたたことを綴ります。海外の仕事のことや、ときには…

サポート、フォロー、コメントしていただけたらどれもとても嬉しいです。いただいた分は自分の継続エンジンの燃料として使わせていただきます。