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新興宗教の信者家庭に生まれたけど覚醒した話

こんにちは。こんばんは。おはようございます。
今日はちょっとレアな話。
もし、興味があれば読んでみてください。

生まれた家が新興宗教をマジでやっている方、結構いらっしゃると思いますけど、日本では宗教に良くないイメージがあるのでよっぽど話題にならないのかと思ってます。

1.しつけと同じように信仰をインプット

私の母方の祖母が毎年誰かを入会に導くほどの熱意のある信者でした。
で、母自身は結婚後、道に迷い腹を括ってのめり込んだタイプ。
父は入会を条件に結婚し、哲学好きが嵩じて気付けば母より敬虔な信者に。
私はそんな家庭に次女として産まれたのですが、信仰のしの字も理解できない頃から教えを叩きこまれました。
毒親シリーズでも語った通り子供にとって親は絶対的な存在ですから従わざるを得なかった。
例えば、お経の拝読です。休みの日は朝から仏壇の前に30分お経を唱えました。父とマンツーマンの特訓です。足が痺れてもお構いなしです。夏は膝裏に汗をかき気持ちが悪いのを我慢して。私には信仰というよりはじっと座っている罰ゲームでした。早く終わらないかなぁと思ってるのがバレてさらにお説教。
なんの自慢にもなりませんけど、覚醒した今でも空で法華経を暗唱することができます。昨年の父のお葬式も遺言でお坊さんを呼ばず、私が経を読み見送りました。

実は、新興宗教団体は布教活動が忙しいです。いろんな意味で、人を増やさないといけません。敬虔な人ほど組織活動に参加していく仕組みになっており、私の親も昼夜をとわず家を空けて私たち子どもを置いて飛び回っていました。
後から調べわかりましたが、親がそういった何かに依存している家庭は、機能不全家庭と呼ぶそうです。私の自己肯定感が低かったのは生まれつきもあるかもしれないけど、家庭環境で輪がかかってしまったのかな?と思います。

2.社会人になり

この信仰に励めば、自分を変えられると聞いて育った私は、信じているかどうかは別として自分を変えたい気持ちでいっぱいでした。小学校高学年から頭痛もよく出ていたし、体が良くなるかもしれない。と思って。
それで社会人になってからは頑張ってその新興宗教団体の組織活動にも励みました。結果、余計に心身を疲労させてしまいました。でもそんなこと認めたくないし、言えるわけもなく、私は良くなった!変わった!と言い張るしかなく・・・。どんどんなりたい方向とは離れていきました。
気持ちだけはいつも先走りしていて、ストレス満載の生活でした。
このころの経験は祈りによる変革ではなく、自身の努力や周囲の人のおかげで組織運営の中で経験を積んでマネジメントを学んだり、時間感覚が身についたということでした。

ところで、どの新興宗教団体でも指導者がいると思いますが、私はその指導者の神がかった話を衛星中継という画面越しに見ては時折感動していました。言葉自体はとても哲学的で、奥深い。ただ、疑問もありました。指導者としていまいち信頼できない葛藤。だって一度も会ったこともない人です。信者の中でも指導者に直接会ってどんな人なのか確かめることができる人なんてほとんどいません。生まれ変わって巡り合ったと言われただけで信頼できるのか?というモヤモヤも抱えたままでした。また、組織に歯向かった人はボロクソに叩かれており、人を大切にするという教えがありながら、えげつないという場面にも遭遇しました。
が、誰もそこにフォーカスする人もいなく自分も声を上げることはできませんでした。

3.結婚後、活動停止宣言


2008年、縁あって主人と結婚しました。新興宗教関係者ではない彼、アクの強い指導者を見ても素直に受け止めてくれたので、この人なら大丈夫だと思えて。御両親も一風変わった私たち一家と親族になることを”自分達に影響ないなら”と受け入れくださりました。本当に感謝しかありません。その後すぐに子供を授かり、生活は目まぐるしく変化していきました。仕事もしていたので、産休と同時に活動は休むと宣言し活動も緩やかになり、時間ができました。更に、指導者が病で一線を引き表に出なくなりました。だんだん夢が醒めるように次第に活動への意欲がなくなっていくと共に、いろいろモヤモヤしていたことを調べたくなり、ネットをググり始めました。すると、同じようにモヤモヤした結果やめた人がいるわいるわ。

そして幸せになれるという夢をみさせてくれる素晴らしい世界を提供する団体の表と裏、光と影をしっかりと確認し、この活動に費やす時間は無駄なのだと気が付き、一線を引くことにしました。

そして、2018年頃、ネットで退会した方に勇気をもらい、真似して「心身不調(曖昧)」を理由に活動を完全停止することを周囲に伝え距離をとりました。
なぜそんな曖昧な感じなのかというと、いきなり退会するなんて言うと大騒ぎして理由を詰め寄ってきたりするのがわかりきっています。
それに、悪いのは末端組織の方ではなく、思想をコントロールしている上層部だとわかったのでお話したところで信じている人にわかってもらえる訳もありません。
メールで連絡した数日後から、地域の人たちが何度もピンポンに来ましたがひたすら居留守とか手が離せないとかインターホン切りをしているうちにだれも来なくなりました。
活動停止した直後は、いろんな気持ちが出てきました。
・本当によかったのだろうか・・・・いや良かったんだ(葛藤)
・時間とお金をつぎ込んだが騙されたという悔しさと怒り
不意に涙が出てきてしまうこともありましたが、日に日にスッキリし、半年後には穏やかな日々が訪れました。

4.退会のタイミング

2020年の流行り病をきっかけにこの宗教団体は求心力をますます失っていることが推測できました。彼らの大切にしている行動、”集まって話す”ことができないですから。
活動を停止し、半永久的に眠りつづけてもよかったのですが、というかそういう人たちは一定数います。しかし私は、そういう人たちが組織内でお荷物に思われたり色々詮索されたり時には頼んでないのに祈られているのを知っていたのでそんなふうにはされたくないという思いもありました。
そして2021年、父が亡くなったとき、娘としては十分親の意向に沿うように活動もしたし、タイミングとして訪問しにくい今がチャンス!と考え、家族全員一緒に退会届を配達証明で団体本部へ送付しました。
子ども達も乳児の時に入会していたので、子ども達の中にこの団体との接点を残したくないという思いもありました。主人にも説明し巻き込んだことを謝罪し、退会することを許可してもらいました。
地元の人には、本部から通知が届き、どうして?という思いだったかもしれないですが、それは思想が変わったからという一言に尽きます。
説明しようがないし、話し合うこともできないと思います。


5.退会のやり方はよく考えて


昔からの友人に退会したことを話すと、よく退会できたね~。
と感心されました。
そうなんです。入会するのは簡単ですが退会するのは至難の業なのです。
退会の仕方もだれも教えてくれないし、そもそも設定されていない。
末端会員は悪気がなく純粋に人を救おうという気でいますし、話すことが得意なので、とにかく話をしないことがポイントだと思い、話さない方法ですべてを進めました。
新興宗教は、宗教ビジネスなのでそれを承知で入会する人はいないでしょう。しかも末端はボランティア活動ですので時間もお金も搾取され続けるだけです。また、宗教と名のついてはいるものの、研究対象となるような教養としての宗教ではないですし、信仰とも違います。
自分の姿を通して、考えを確立する前の子供の段階で思想を植え付けられることほど怖いものはないと私は思います。
このような機能不全家庭に生まれたことも意味のあることだと思えているのが救いで、本当の意味で自分の人生始まって4年目になる今、自分で決めることに面白さを見出しています。そしてこれからの人生は右肩上がりだと思えるようになったことも大きな変化です。


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