【連載小説】 〜トイが繋ぐ物語〜 1話 この子が、いたからじゃ、ないので
ふわふわ浮いている小さなぬいぐるみ。
第一印象はそんなかんじ。子供の頃によく遊んだスラリとしたモデル体型のリリちゃん人形とは違って、ふわふわで丸っこくて頭が大きい。大きめのマグカップ位のぬいぐるみのような三頭身。何故か自分にそっくりで、でも、なんだか小さな子供みたいな見た目。
そこまで思考が巡ったあとで、ふっと我に返った。
「え…………?なに、コレ……?」
その、『浮いているぬいぐるみ』が、今、彩矢(さや)の顔の目の前で、彩矢に向かって手を振っていた。
「なっ、ちょ、なによアンタ!」
「はぁっ?!な、何だこいつ……っ」
同じ室内のアチラコチラでも様々な声があがっていた。それらは多少の差はあれど、ほぼ全てが驚きを表すものばかり。見渡した室内には、やはりふわふわとした小さな生き物が一様に浮かんでいる。
その日、彩矢と同じ室内で成人を迎えた者たちは、皆一様に驚きに目を見開き、信じられないものを見たとその顔と声が語っていた。
それもまぁ、今の状況をみればしょうがないよね。私だって、叫ばなかったけど、十分驚いてる。
なんせ、幼い頃からとても大事だと言われ続けてきた成人の儀を、今日この日、やっと終えて目を開けたら……彼ら自身にそっくりなぬいぐるみのような生き物が、浮いていたのだから。
「いらっしゃいませ」
カランカラン、というカウベルの音が鳴って新たな客の来訪を告げる。この音がしたら、まずは扉へ笑顔を向けて、歯切れよくご挨拶を。バイト先であるここ喫茶『ひといき』で、最初に教えられた重要なポイントである。
彩矢がバイトを始めて二週間が経っていた。
真面目で受け答えもハッキリ、髪はポニーテールにしてスッキリと。先日までは眼鏡をかけていたけれど、接客のバイトを始めたからと思い切ってコンタクトにしたので、視界もクリアで動きやすい。
元々の彩矢は大人しい性格のため、あまり大きな声を出すのは苦手だったけれど、二週間もたてば、ある程度慣れてくる。はきはきと明るく、しっかりした返事と真面目な働きぶりで、常連のお客さんたちからは良い子が入ったねと可愛がられ始めていた。ありがとうございます、と社交辞令と思っている彩矢はさらりと返すけれど、可愛がる常連の何割かはうちの息子の嫁に、いやうちの孫の……と狙われ始めているなどとは微塵も思っていなかった。
そんな始めたばかりでまだまだ慣れない喫茶店でのバイトだけれど、彩矢には少し……気になっているひとがいる。
その人は、彩矢がバイト初日の日から、平日は毎日ランチの時間にやってきている常連の一人だ。
今日も、まだランチには少し早めの客もまばらな時間にやって来た。いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞとお決まりの掛け声をかけると、いつもの定位置である、窓際の二人掛けの席へ迷いなく腰を下ろす。そうして、注文お決まりですかとお冷を出しながら問う彩矢に、思った以上に低い声で『BLTサンドと、特製ブレンドをお願いします』と、存外丁寧に言って笑うのだ。
彩矢とその男の人との接点は、それだけ。
入店の掛け声と席案内の時、それと注文を聞くとき位しか接点なんてないはずなのに、何故かよく目が合う、気がする。
パッと見は普通の会社員らしき男性、顔は整っている方なんだと思う……ううん、カッコいい。眼鏡をかけていて少し知的な雰囲気。
それに、細身に見えるけれど、結構よく食べる。彩矢のバイト先のカフェはランチメニューに軽食が4種類だけある。種類は少ないけれど、ボリュームはたっぷり。若い男性でも満足できるように、と店長が知り合いから安く仕入れて出来る限りお安くでもお腹いっぱいになれるようにと提供している自慢の品々だ。彩矢が食べると半分でお腹いっぱいになってしまう。
それだけボリュームのあるランチを、きっと会社の昼休みだろう時間でペロリと平らげて、涼しい顔をしているのだから。
そんな彼から、注文してから出来た食事をテーブルへ運ぶまで、チラチラと視線が投げかけられている気がするのだ。
けれど、その視線は、どこかズレている事もあって。斜め上方向を見ていて、それなのにその後すぐ目が合う。でも、別に話しかけられた事もないし、こちらから話しかける勇気もない。
……ただ、どうしても気になってしまう。
でも、知らない人、ましてやお客さんに軽口をたたける性格ではないし、どうにもしようがなくて、また今日も注文されたBLTサンドと店主特製ブレンドコーヒーを彼の席に運んでいく。
「お待たせしました、BLTサンド一つと特製ブレンドコーヒーになります」
「ありがとう」
たったこれだけのやり取りの中でも、ニコッと人好きするような優しい笑顔を返してくれる。きちんと目を見て言ってくれるから好感度は上がりっぱなし。
ああ、その下がる目じりが素敵。柔らかな笑顔は自分の好みに直球でハマってしまう。
気に、ならないはずが、ない。
「ねぇ彩矢ちゃん、あのカレと付き合うの?」
「……はい?」
「ホラ、毎日ランチ時にウチに来てくれてる、メガネの爽やか好青年。彩矢ちゃんの事すっごく見てるじゃない。彩矢ちゃんだって満更でもなさそうだし、相性も良さそうだから、お付き合いするのかなー?って」
「ええっと、あの、待ってください。相性って?あの男の人とは何も……」
「えぇ〜勿体無くない?あんなに仲良さそうにしてるんだもん一回くらいお試しでお付き合いするのはアリだとお姉さんは思うなぁ〜」
「仲良さそう……って、誰と誰がです?」
「え?彩矢ちゃんとあのカレよ」
「注文を取るときと、お料理をテーブルに運んだとき、後はレジ打ちくらいしかお話したことありませんよ?」
彩矢がこれまで彼と話をしたことのあるシチュエーションを頭に思い浮かべても、それ位しかないはずである。事実、二人の接点は本当にそれしかなかった。しかし、そのセリフを聞いた先輩バイトの美弥子(みやこ)は途端に訝しげな顔をして、カウンターの向こうの店長に声をかけた。
「……店長」
「おかしいね、確か今月で成人するって聞いたはずなんだけど」
「ねえ彩矢ちゃん、あなたお誕生日は何日だったっけ?」
「私ですか?今月末なので、二週間後ですね」
そう、彩矢はあと二週間でやっと成人の仲間入りを果たせるのだった。
待ちに待った二十歳。
なぜかこの国では接客業は二十歳からとか、未成年は一人で飲食店に入ってはいけないとか、二十歳未満に対する制約がそれなりの数あった。ずっとカフェでバイトをしてみたかった彩矢としては、待ちに待った誕生日なのだ。
この店のバイト募集を見つけたのは今月の頭。素敵なカフェだなぁ…こんなところでバイト出来たらいいよね…と通りすがりにチラチラ見ていたら、たまたま店の入口に募集の張り紙を張っていた店長と目が合って、声をかけられたのだ。
その時も誕生日を聞かれて今月ですと答えたら、そうかぁ、それじゃウチで働くかい?という店長の一言で即採用が決まったという、なんともゆるい面接だったけれど。
美弥子に聞かれたことでそんな諸々を思い出しつつも、あと少しだなぁと嬉しくなりながら彩矢は答えた。
「店長」
「あ、はは……いや、こりゃ……参ったね」
答えた、のだけれど。彩矢の答えを聞いた美弥子は店長をじとりと睨みつけた。剣呑な視線を向けられた店長は、人差し指で頬を掻きながら何やら歯切れの悪い返事を返している。
「……?私、何か変なこと言いました?」
「ううん、彩矢ちゃんは悪くないの。悪いのはこのヒト」
「え、っと……?」
「接客業はハタチになってから、ってアレ、知ってるでしょう?」
「あ、ハイ。もちろんです。なので、店長に誕生日を聞かれて今月ですと答えたらすぐ採用してくださると言われてびっくりしました」
「そうよねぇそうよねぇ……うんうん、彩矢ちゃんはなーんにも悪くないわぁ」
何度も顔を上下に振りながら彩矢の頭を撫でる美弥子が、念を押すように彩矢は悪くないと繰り返す。
「まさか、こんなにすぐあんなに仲良しな相手が見つかるとは思わないでしょ……」
「店長」
「っと……、まあ、ほら、あと二週間ってことは、その後もう一度聞くのでも遅くはないんじゃないかな?」
「ハァ……そうですね……彩矢ちゃんごめん、さっきの話は忘れておいてちょうだい」
さっきの、というと、店長の口ぶりからしても仲良し云々ということだろうか。まぁ、確かによくわからない話だったし、彩矢自身もちょっと気になっている人ではあるものの、仲良しとはほど遠いから、何か間違えたのだろうとスルーすることにした。
「はーい。あ、そろそろ時間なので、コレ片づけたらあがりますね」
店長の背後にある時計は、彩矢のバイト終わりの時刻を指し示している。丁度いいタイミングだった。
「ああ、いいよ。俺がやっておくから。今日もありがとう、お疲れ様」
「あらま、もうそんな時間なの。お疲れさま彩矢ちゃん、気を付けて帰ってね」
「ありがとうございます」
ずっと手に持ったままだったトレーを店長に渡し、挨拶と一礼をしてバックヤードへ入っていく。廊下にある彩矢に宛がわれたロッカーの前で、ベストと腰に巻いたロングエプロンを脱いでハンガーにかけると、代わりに着てきたカーディガンを羽織って帰り支度はおしまいだ。
「えっと、次は火曜ですよね?それじゃ、お先失礼しまーす!」
朝来た時と同じように元気よく、店長と美弥子の二人しかいない店内に向かって挨拶をした彩矢は、カランカランと小気味いい音をたててドアを開け、夕方の空気の中へ足を踏み出した。
店内に残された二人が、複雑な顔をしているとも知らないで。
「店長、あのお客さんに一言言っておいた方がいいんじゃないです?」
「そうだねぇ……、このままだとちょっとさすがに、可哀想かな、やっぱり」
「彩矢ちゃんにバレないように、早めにお願いしまーす」
「了解、気を付けておくよ」
しまった、という顔をした店長は横目でじろりと睨む美弥子にごめんって、と小さく声をかける。ふん、と鼻を鳴らして返し、視線をついと動かした美弥子は、どこか祈るような顔つきで彩矢が出て行った入口を見つめていた。
一方、彩矢はというとさっきの店長と美弥子さんの話はなんだったんだろうと思いはしたものの、それよりも目先の問題、本日の夕飯を何にするかに気を取られてすぐに忘れてしまったのだった。
小説を書く力になります、ありがとうございます!トイ達を気に入ってくださると嬉しいです✨