見出し画像

思い出の交換

「明日会える?」
嬉しすぎて即答してしまった。
会えたのはほんのわずかな時間。
それでも、私を思い出して連絡をくれたのが嬉しくて、体調崩しがちな雨の日にずっと履けなかった長靴を履いて、軽快に待ち合わせの場所まで向かった。

共通の趣味がある。不思議なことに、私たちは同じ人たちを見ながらお互いが知らない話をする。
彼女は今の彼らのことを。
私は過去の彼らのことを。

同じ空間にいても人それぞれ感じることは違う。価値観に相違が生じるのも当然。
そう分かっていても、同じものを好きだからこそ、価値観の相違が関係性に良くも悪くも作用する。
それでも会いに来てくれた。

ある意味では同じ時間軸を生きていない私たちだけど、好きなものの形は限りなく近い気がする。彼女と話している時に感じるエンタメの普遍性が心地良い。長く愛されるには理由があって、きっとゼロに戻しても、また同じところに戻ってくるんだろうなぁって思えてくるから、妙に安心する。

“推し方が違う”
致命的だと思っていた価値観の違いを受け入れてくれた彼女の寛容さ。
知らないことに興味を示してくれる素直さ。
適度に流してくれる器用さ。
彼女の包容力。
その人柄にいつも救われる。
私もこういう人であろうと思う。

考え方、生き方、目指しているところ、きっと色んなことが違うけど、いろんな話をして、いろんな“好き”に共感できる時間が堪らなく好きだ。

私の彼らに対する“好き”は、もうこれ以上更新されないのかもしれないけど、あの時の思い出は今でもとっても大切なものだし、心浮き立つ瞬間を、とんでもなくしあわせな気持ちを、私は知っている。だからこそ、これから先もっと更新されていくはずの彼女の“好き”を、私も大切にしたいと思っている。

形あるものはいつかは消えてなくなる。しかも失うと痛い。

幸せだったのと同じくらい傷付くこともあった。痛みを知っていたから、今隣で傷付く彼女の痛みに私は寄り添ってあげることができなかった。それでも、今隣で“好き”にときめく彼女の笑顔が続いてほしいと心から願っている。

私もたくさん泣いた。夜が明けた先にも辛いことなんて山ほどあって、涙が止まらない日もあった。それでもまた、ここに帰って来ちゃったんだよね。彼らが空に流れる雲みたいに、日常生活の一部になっていることに気付いちゃったから。

過去の痛みを知る必要なんてない。私も今の痛みを分かりきってあげることができなかったから。でもね、好きとか楽しいはなぜか共有できちゃう気がするの。だから、またお互いの知らない楽しい思い出をたくさん語り合おう。私の知らない彼らの新しい思い出をたくさん聞かせてほしい。

夜はいつか明けるから大丈夫なんて言えないけれど、自分の想いも、彼らのことも大事にぎゅっと抱きしめてあげてね。私が彼らのことも、好きなものの話をしている時のキラキラしたあなたの笑顔もみんなまとめてちゃんと見てるから👍🏻

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?