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躁鬱(双極性障害)の人向け “普通に生活し、仕事ができれば治ったと同じ”は一旦無視する

今日の記事は、マガジン「生活は出来ているが、うつっぽく、楽しみを感じない時に読む記事」に入れました。

これくらいの時期に、病識を持とうと本を読むのですが、タイトルのように、“普通に生活し、仕事ができれば治ったと同じ”のような言葉をみると落ち込みます。

著者の意図は、そんなに大変な病気に罹っている訳でないので大丈夫ですよ、と励ます意図で書いていると思います。

でも、当事者からすると、「何をどうすれば、普通に生活できるの?」「ほんと大変なんですけど・・」「仕事ができてはじめて普通かぁ・・」みたな気持ちです。

今読めば、安定して仕事ができる人もいるよね(そうじゃない人もいるよね)といった、フラットな見方ができますが、うつっぽい時、焦っている時には、受け止め方がだいぶ違ってきます。

「仕事ができる」をゴールに設定してしまうと、“仕事として自分にできること”を探し、結果ないと思うと、「自分てなんて・・」と否定が始まります。

これは、私の例であり、お勧めするつもりはないですが、一つの考え方として、書きたいと思います。

まず、“普通に生活し、仕事ができれば治ったと同じ”という言葉は無視しました。

双極性障害を持つ身としては、それは簡単なことではないと思っています。なぜなら、誰も的確にアドバイスしてくれる訳でもないし、生活を自分で作っていかなくてはならないからです。

自分で作っていくことすら、結構後に自覚しました。

ちょっと受け入れ難いかもしれませんが、「仕事ができなくてもいい」と認めてしまうと、背中に背負ってた重い荷物をバサッと下ろせます。

働くのを諦める。それは今の自分には無理だ、と適切に判断すること。余談ですが、諦めるの意味は、明らかにするであり、放棄や断念などネガティブな意味ではありません。

無理なものは無理でいいです。それをなんとかしようとすると、体調が悪くなります。

この感覚は、病気を受け入れた時と同じようなものです、受け入れると主体的に事実に対して関わっていけるようになります。

仕事のことを考えなくてよくなった、何しよう?となった時、とりあえず笑えることをしようと思いました。

仕事を考えず、焦りもなくなると、好きなことするしかなくなります。

好きなことをしていると、もっとやりたい、とか飽きてきたから他のことやろう、のように以前より元気になってきます。

決して「好きなことをやらなければならない」ではなく、いろいろ無理なことをしっかり無理と諦めた結果、残った好きなことをやる、という感じです。

私は、植物の世話をしていたのですが、少し余力が出てきたので、農家さんのお手伝い(ボランティア)に行っています。体を動かし、陽に当たり、人と話し、お土産をいただき、とても楽しいです。

働くことを目標にしないなら、何を目指すの?というところですが。私の場合はこういう人物像です。

  • よく笑う

  • だいたい機嫌がいい

  • 遠慮してない

ざっくりすぎですが、こういう人に寄せています。こんな感じで過ごしていると、何かと頼まれごとが入ってきます。

準備が整ったら頼まれごとがあるんだな、と思います。過去、悲しい気持ちに沈んでいた自分に「だから大丈夫」と言ってあげたい。

お読みいただき、ありがとうございました。








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