躁鬱(双極性障害)の人向け 病気に人生を支配されたくないなら何をするべき?
私自身、「この先どうなっていくんだろう?」と漠然と悩んで、答えの出ない日を長く過ごしました。
結局、考えても考えても結論は出ず、体調が良くなってきてから、考えが変わっていきました。
「病気が治ったら人生が良くなる」という考えから「良い人生を送ることと病気があることは別」という考えになりました。
人生は時間とイコールなので、これからの人生を病気と戦うことだけに専念しても私の心は豊かにならないだろうと思いました。
心の奥底で自分はどんな時間を過ごしたいと思っているのか?
これまでの学びの中で、先輩方の後悔を聞いてきました。「もっと〇〇すれば良かった・・・」
自分も晩年を迎えた仮定で考えた時
「もっと活躍したかった」
「大金を稼ぎたかった」
「有名になりたかった」
みたいなことは全く思っていなくて
「もっと笑えばよかった」
「もっと楽しめばよかった」
「家族と出かければよかった」
のようなことばかり思い浮かびます。そういうことを望んでいるようなんです。
大きな壺にどの順で石を入れるか?という例え話があるのですが、その壺に先に小石や砂を入れていくと、大きな石が入らなくなります。
先に大きな石を入れると、その隙間に小石や砂が入れられます。これは、もっとも大事なものを先に入れなさい、ということです。
この事はいつも意識していて、大切な事と、どうでもよい事はかなりしっかり分けています。
あまり長いスパンでものを考えるのが得意ではないので、1日単位の壺のようなイメージで、1日でもっとも大切で重要な事を朝やるようにします。同じことでも、夜疲れてからはやりたくなかったりするからです。
例えば、子どもについて。
朝起きたら、「おはよう」と言って軽くハグか、頭をポンポンとします。2秒くらいでできます。
2秒で毎日できる事を人生の後半で後悔するのはイヤだなと思って始めました。
ゴミ捨て。
多くの人にとって“めんどくさい事”かもしれませんが、生活が滞りなく回っている感じがして、気持ちが良いのです。自分の手でしている満足感もあるのかもしれません。
掃除。
各部屋の掃除機がけをさっとします。綺麗になってから始めると気持ちが良いです。
花の水やり。
育てている花の様子を見つつ、水やりをします。
空を眺める。
その日の空がどんな様子か見ます。
これらのことは、時間があったらやる(壺の例えで言うと小石)かもしれませんが、私にとっては、こういう時間に心の余裕や、喜びを感じるので、優先的にやります。
「今幸せか?」と聞かれたら、即答で「幸せです」と答えます。それは周りの人のおかげですが、自分自身の中で、「病気のあるなし?と幸せかどうか?」は関係がない、と体感的にわかってきて、ある種の窮屈さから抜けつつあるのかもしれません。
“病気だけど幸せ”ではなく“幸せな人の中にたまたま病気がある”という病気の存在が小さくなっていくイメージです。
病気が人生を決定するのではなく、自分とっての大きな石を選び入れていくことが人生の充実に関わると思っています。
病気に人生を支配されたくないなら、自分の心が望んでいることをまず知るべきだろうと考えています。
少し大きい話になってしまいましたが、今日はこの辺で。
読んでいただき、ありがとうございました。
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