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躁鬱(双極性障害)の人向け みんな笑っているのに自分だけ笑えないと感じる時には

私の記事は、その時の体調(状況)に合わせて、マガジンにまとめています。最近の記事は「これからの人生を充実させていきたい時に読む記事」に入れています。

ここに入れているのは、体はまあまあ調子がよく、日常生活も問題なく送れているくらいの時の話です。

タイトルの「みんなが笑ってるのに自分だけ笑えない」ですが、私の場合、家族がテレビで笑っていたり、暇つぶしみたいな遊びで笑っている様子を見て、取り残されている感がありました。

「なんでくだらないことで笑っていられるんだろう?」
「無駄な時間を過ごして、なぜ平然と落ち着いていられるんだろう?」
「そんなケラケラ笑えていいなぁ」

今から思えば、体は元気になってきたけれど、心が元気になりきれていない状態だったと思います。

ただ、その時は「そうか、この人たちは、それぞれやることがあって、それをやっているから、ケラケラ笑えるし、楽しめるんだ」

みたいな考えに至って、やるべき事、特にお金を稼ぐ、につながることを頑張ろうとするのですが、その方向性は、元気になることと真逆でした。

心が元気になりきれていないのに、やるべき事をやろうとすると、積み上げてきた体の元気まで削る結果になります。

では、どうしたか?あくまで私の経験上の話ですが、
「これから無駄なことやり尽くすまで、絶対はたらかないぞ!」くらい気概で遊ぶ、という感覚で過ごしました(イメージです、言ったりしません)

体が元気になってくるのと、心が元気になるのは、タイムラグがあると思います。

どうしてこう思っちゃうんだろう?という時は、シンプルに、十分に心が元気になっていないからだ、と気付けると、今はこのままで大丈夫と、焦りから解放されます。

無駄なことをやって、笑っていられる状態って、健康的だと思うんです。

海の生き物を観察することも、植物の世話をすることも、無駄と言えば無駄なのですが、それをやっていると、いつの間にか家族と一緒に笑えていた、という感じです。

よく笑っている時には、地に足がついた考えができて、自分の今の状態と、出来ることを正しく判断できるので、周りに相談しても「いいんじゃない、やってみたら?」という返答があります。

頑張らなくても、自分が笑える生活を送っていれば、自然にそうなっていくものなのかもしれません。

加えて、心を元気にするのは、身近な人との交流です。

先日、直売所にタケノコを買いに行き、家族で食べました。タケノコを食べるには、アク抜きしないといけないのですが、これに2時間とかかかります。

途中、すごくいい匂いがしてきて、在宅勤務の夫を呼び、「すごいいい匂いだから嗅いでみて」と言うと「ほんとだ」と戻っていきました。

ホクホクした里芋のような、なんとも言えない美味しい匂いがしました。

タケノコの水煮なんんてスーパーで買えるのだから、わざわざ時間をかけてアク抜きなんて、無駄と言えば無駄かもしれないですが、こういうのがしみじみ豊かだな〜、と感じます。

身近な人たちと「美味しいね」と食べるご飯は、楽しいです。そこに座って笑っていればいいし、笑えない日も座っていればいいんだろうと思います。


お味噌汁が美味しかったタケノコ

日常に会話があって、笑いがあるなら、時間をかけてそれを味わえばいいのかな、と思います。

それが自分にとっての当たり前の生活になっていく時、そこから様々な道筋が生まれていく感覚があります。

私自身も生活をしているからこそ、noteに書く物語が生まれたり(文才がなくてアレですけども)。植物を育てるのが好きだから、農家さんのお手伝いに行ったり。

この辺りの話は、また別の機会に書きます。

みんな笑っているのに自分だけ笑えないと感じる時、自分に声をかけるとしたら、

まだ十分に元気になっていないだけだから、何もおかしくないし、遊んでたら少しずつ元気になっていくよ(いつの間にか)、ということ。

私の経験談に過ぎないですが、書かせていただきました。

読んでいただき、ありがとうございました。

元気になってくると別の注意が必要なので、参考まで貼っておきます↓



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