躁鬱(双極性障害)の人向け いつまでも“患者”でいると人生が良くならない
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本題に入ります。
今回の記事は、体調が回復してきたけれど、家から出ていないくらいの時に感じたことや、今から振り返ってどう考えているかを書きます。
これくらいの時期には、双極性障害であることを人に言うか、言わないか、言わないとしたら、それは隠している、偽っているのではないか?みたいなことを思っていました。
“患者度”が高いんだと思います。適当に作った言葉ですが、家にいると「患者である自分」以外の顔がほぼ無い状態です。
心理学ではペルソナといいますが、人は、周りの環境に合わせて、自分を演じる、いくつもの「顔」を持っていて、それを無意識に使い分けています。
友達に見せる顔、親に見せる顔、職場で見せる顔、子どもに見せる顔、それはどれも違っているはずです。
発症から回復の過程に時間がかかることもあり、様々な顔の使い分け、切り替えが上手くいかず、“双極性障害である私”が頭を占領していて、臆病になってしまいます。
今現在は、私は双極性障害の患者ではあるものの、“患者”というペルソナは病院を受診する時にしか“演じて”いません。
双極性障害であることをわざわざ人に言ったりしません。言わなくていいことは言う必要がないと思っています。(言うとしたら助けが必要なとき)
色々な顔があるならどれが“本当の自分”なんだろう?って新たな悩みが生まれてしまいそうですが、全部、本当の自分です。
周りの環境に対して、演じているのであれば、どこに身を置くと気持ちが楽になるのか?という考え方ができると思います。
以前、デイケアについて書いたのですが(総合的に通ってよかったと思っている)ずっと違和感があって、最近、その正体が“患者度”みたいなことだと気づきました。
デイケアに通っている時は、自分が“患者”であることを意識せざるおえないので、“患者”の顔になっていたと思います。
患者でいるって、全然楽じゃない気がします。
双極性障害にかかわらず、言われなきゃわからないような頭痛や腰痛などを持って、あるときは患者、あるときは親の顔をしている人が沢山いると思います。
それと同じように、患者ばかりではなく、出来るだけ色々な顔を持った方が、結果的に、“双極性障害である私”みたいな囚われから抜けられるのかもしれません。
人も含めた環境から影響される以上、「良い人」「良い場所」に出向き、新しい自分の顔が生まれるのだろうと思います。
読んでいただきありがとうございました。
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