躁鬱(双極性障害)の人向け “楽しいこと”は必ずしも“楽しそうなこと”の中にあるわけではない
鬱から回復してくると、時間があるけれど、何をしたら良いのか考えられない時期がありました。そもそも楽しいという感情が薄くて、周りの人の時間だけ進んで、自分だけ取り残されるような、そんな感覚です。
症状が落ち着いていると、何かしたい気持ちになるのですが、人がやっている“楽しそうなこと”をやってみても「これに何の意味があるのか?」と考えてしまい、無駄に落ち込みます。
以前書いたこの記事が、一番読まれています。
前回は、楽しいことに対するアンテナの張り方でしたが、今回はそもそも「楽しいこととは?」について考えてみたいと思います。
前提として、私の価値観ですが、月に1度とびきり楽しいことがある暮らし、よりは毎日じんわり楽しいと感じるような生活が好きなので、そちら寄りのお話になります。
“楽しまなくてはならない”と囚われる必要はないのですが、せっかくなら楽しい方がいいですね。
毎日楽しい状態を叶えようとしたら、注目すべきは「生活」だと思うのです。食事・洗濯・掃除・睡眠など
それのどこが面白いの?めんどくさいのばっかり、と思うかもしれません。
少し話がそれますが、キャンプを思い浮かべてみてください。たくさんの荷物を持って、車を走らせて、わざわざ不便なところに行って料理をし、寝床のテントまで自分で立てないといけないですよね。
これだけ見ると、キャンプめんどくさくないですか?でも楽しい。
キャンプはやっていることは「生活」なんですが、それが「遊び」に近くなると思うのです。生活を体験する、といった感じでしょうか。
では、話を戻して、普段の生活を変えるには、キャンプに出てきた、“わざわざ”や“めんどくさい”がキーワードだと思います。
ほとんどのことは、お金を出して買えば済むことですが、例えば、野菜も花も、買ってきたのか、育てたのか、で気持ちは随分違うものです。
先日、我が家では、なめこの栽培キットを買って育ててみました(夫が)。なめこはスーパーで買えば100円くらいのもの、それをわざわざ3週間ほど毎日霧吹きし、様子を観察。収穫してお味噌汁で食べる時には、なめこの味噌汁をこんなに味わおうと思ったことあったかな?というくらいしっかり五感を働かせて食べました。
普段の生活の一部を「体験」に変えるのは、そう難しくないと思います。
ただ、少しのめんどくささ、が伴うかもしれません。
子どもは、ご飯をどう食べたら楽しいか知っていて、普通の焼きそばを食べるのに、ベランダにさっさとレジャーシートとテーブルを用意します。確かに、それだけで気持ちがいいし、美味しく感じ、何だか楽しいのです。
生活を面白がれれば、一生飽きずに暮らせる、と言ったら大げさですか?
面白いこと、楽しいことは一般的に楽しそうなエンタメだけでなく、一見めんどくさいことの中に含んでいるものがあると思います。
自分なりのそれを探すことがまた面白いのではないでしょうか。
読んでいただき、ありがとうございます サポートはチューリップの球根・野菜の苗の購入に使わせていただきたいと思います。