躁鬱(双極性障害)の人向け “好きなことをすればいい”のは分かっているけどできないとき
この記事は「これからの人生を充実させていきたい時に読む記事」に入れています。心身ともに元気になってきていると感じるくらいの時の話です。
双極性障害を経験する中で、その回復の足をひっぱるのが、常識や道徳、一般的な価値観でした。
家にいて自分だけ好きなことをするなんて(夫に)悪いと思って、遠慮してできない、休んでいる身分だから家事をすべきなのでは?と思う。
こういう気持ちは、いろいろな場面で顔を出します。平日の昼間から遊びに行くのは…など、どことなく後ろめたい感じがします。
こんな時は、心が窮屈です。“これがしたい!”と“するべきではない!”が引っ張りあっている状態です。
”すべきではない”の正体は、常識や道徳です。頭の中にあるだけのもの。これに従って物事を決める時、世間に従っている自分です。
一方、やりたいことをし、いきたいところに行く、それが人にどう思われるか?に関係なくしているなら、それは「自由」です。「自らに由って」行動しているからです。
行きたくないところに通い、やりたくない事をする。「世間由」(自由に対して)ではそれが正解だとしても、自分が幸せになるイメージは描きにくいと思います。
仏教の禅では、世間の束縛の外に出て、初めて主人公になれる、主体性が確立できる、とされています。(主人公という言葉は、もともと仏教用語です)
破天荒になればいい、とは思いませんが、自分の行動を制限する、引き止めが働くとき、その理由はどれほど大事なものなのか?と少し立ち止まってみても良いのかもしれません。
冒頭のシチュエーションに戻ると、私は夫にどう思われるか?気になっていました。判断基準が夫です。これで窮屈になっていました。(勝手に)
解決策は1つではないですが、私の場合は、こういう時、その心情を話します。自分で思っている時は、頭の中にあるだけなので、妄想の範囲です。
目の前の相手は、一般の人ではなく、具体的な一人の人で、話してみないとわからないのが、ほとんどです。
目の前の人が、どう思っているのか確認する。事実をみないと、妄想が居座ります。
よく、「そんな事誰も気にしてないよ」とか「誰もみてない」など言われますが、気になっちゃう時期があるし、気になること自体が悪いのではなく、事実確認が不足しているだけ、だと思います。
「誰も何も言ってこない」「特に注目されたりしなかった」という経験が心の緊張を解き、世間の束縛をゆるくしていくものと感じます。頭だけでそう思おうとしても難しいのではないでしょうか。
“好きなことをすればいい”のは分かっているけどできないときには
自分の気持ちを身近な人に話す
「世間由」による束縛に気づく
「自分に由る」行動の喜びを感じてみる
双極性障害の治療の目指すところは、充実した日々を過ごすこと、だと思っています。
自分を幸せにするには、自分に由来する選択を増やしていく必要があるのかな、と今は考えています。
読んでいただき、ありがとうございました。
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