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躁鬱(双極性障害)の人向け 働ける自分が想像できないとき

今日は、例え話を書きます。誰にも伝わらないかもしれませんが、チャレンジとしてやってみます。途中でわけわからないな、と思ったらサッと閉じてください。

先週の記事の関連で、“諦める”という言葉を出しました。そのニュアンスを表現してみたいと思います。

自分が双極性障害を発症し、ウツになった事。この状態を視覚的なイメージを言語化してみます。

過去の私そのものですので、上空から見下ろすような感じで見ていただけたらと思います。



まず、発症した時、自分の意思とは関係なく、とある無人島に流れつきました。島の名前は“ウツ島”とします。

ウツ島の余白(わたし)は、ここに流れ着いた事、もといた島が遥か向こうである事に来る日も来る日も絶望しています。

この島の地面が硬くて寝心地が悪い事、誰も助けに来ないことにイライラしています。

「もといた島に戻るのにはどうしたら良いだろう?」と考えます。「泳いでいく?いや絶対ムリ」終わった…

その翌日も、また次の日も、雨に打たれていても構わず、考え続けます。



時を経て、「ああ、あの島に行くのはムリだ、だって遠いし、潮の流れの情報だってない。それより、とりあえず食べ物探しに行くか。」と思って、島の中を歩き、食べ物を探します。

「ああ、そういえば、地面が硬くて寝づらいから、何かクッションになるものでも探そう」そして、また別のところを歩きます。

すると、ウツ島の裏側になんと歩いて渡れる島が!!「とりあえず行ってみよう」と行ったところは“デイケア島”という島でした。

デイケア島では、ウツ島についての様々な情報をくれました。

ウツ島に戻ると、寝心地の良い寝床を作り、魚を釣り、夜は星空を見上げてみました。

暇だったので、まだみていない海岸を歩き、綺麗な貝殻を集めてきました。するとデイケア島よりは遠いけれど、行けそうな島があります。その島の名は、“ボランティア島”畑で野菜を作るお手伝いができます。

ボランティア島はシニアの方が多くて、「年金が…」とか「誰々が入院して…」といった話を明るく話し、悲壮感ゼロの不思議な島です。

ボランティア島の人は、いろいろ教えてくれます。「あの島に行くなら、KさんがX日に船を出すから、乗せてくれるか聞いてみたら?」とか。

ウツ島では、デイケア島で借りた双眼鏡を覗いてみました。すると、もといた島よりは近いところに、小さな島がいくつもありました。それは“バイト諸島”です。“週1OK島”“デイワーク島””スキマバイト島”などからなっていました。



「もといた島に拘りすぎてたんだなぁ、他にもいっぱい島があるの気づかなかったし」



なんとなく、ニュアンスは伝わりましたか??前半はできないことに執着して、全体的にあまり明るいイメージがしないのに対し、後半は、とりあえず手の届きそうなところに手を伸ばしてみた結果、「大丈夫そう、ハッピーな感じもする」印象ではないでしょうか。

これが「諦める」に繋がっています。

考えて堂々巡りしているときは、「考えられていない」のです(でもそれは誰も指摘しません)。考えられていないことに気づけて、それを受け入れられると、しっかり人の意見を聞きに行ったり、教えてもらったりでき、具体的な行動に変換しやすくなります。

この物語は、たった一つの例に過ぎず、自分のいる島の周りには、無数の小島が存在していて、様々なルートがあるだろう(明確なことはわからなくても)と考えてみるのも大切だと感じます。

もしも、私がもといた島への拘りを持ち続けたなら、その結果の行動は、すごく重い木材や浮きを集めて、なんとか作ったイカダで、荒海に出る、といった危険を伴う選択をするかもしれません。

頑張れればなんとかなる、という方向性ですが、これは私には無理だと思いました。

デイケアに通って受けたのは、メタ認知トレーニングで、「情報を集めましょう」と本当に何回も言われました。出来るだけ沢山の情報を集めたのち、結論を出す方法です。

自分がネットや本で調べると、どうしても自分が受け取りたい情報だけとってしまいます。他の人の話を聞いたり、相談すると全く見えていなかったものが見えてくる時もあります。

上の物語でいうと、上空から見ると周りにどんな島があるのか、距離はどれくらいなのか?など他の人の視点を借りながら、客観的に判断するといったイメージです。

隣の島に行くのも今は無理だ、となった時、ここでなら出来ることは?と考えました。

私はこの先働けたとしても、働けない期間も出る可能性があるし、だったら記事を貯めておこう、のような考えをしています。“働き”を貯めておくという感じです。

先日の記事で分身ロボットを紹介しました。双極性障害が持病の私にとっては、分身ロボットが自分の困りごとの解決とはならないと思っていて、なぜならリアルタイムに人とのやりとりができないわけではないけれど、体が疲れてしまうから。

では、私にとって分身になり得るものとは?と考えた時、今のところできるのは記事を書くことだな、と思っています。

このnoteは収益化はしていませんが、週一ペースで1年かけて50記事以上貯まりました。

他には、もっと負担が少ないメモ程度の記事を毎日書いています。

記事でなくても、なんでも良いのですが、自分が現れるような何かを作ってストックしておこうという考えです。

今回この記事を書いていて思ったのは、「とりあえず、できそうなことを少しだけやってみる」の先に良いキッカケや情報があったな、ということです。

結論のない記事になってしまいましたが、”諦める”は他の選択肢の存在に気づく可能性があり、決して悪いことではないと思います。

読んでいただき、ありがとうございました。

読んでいただき、ありがとうございます サポートはチューリップの球根・野菜の苗の購入に使わせていただきたいと思います。