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躁鬱(双極性障害)の人向け 病気を受け入れるとは何を指していて、受け入れると何が変わるの?

そもそも発症した時って、受け入れるどころか、かなり動転しているんですよね。「人生が終わった」と思うし、これから良いことが あると思えない、といった風に。

ものすごい葛藤、自己否定を経て、どこかで腹を括っていくことになるのですが、この一連の流れは、双極性障害の人だけでなく、病気や様々なアクシデントに見舞われた人にも見られることに最近気づきました。

双極性障害は20代など比較的若く発症することが多いので、「人生終わった」みたいな諦めの気持ちに傾くことがあると思います。

医者でもなんでもない私の言葉はあまり意味ないかもしれませんが、「終わらないよ」と言いたいです。

病気を受け入れるって事は、症状そのもののに対する工夫もそうですが、その前に、“時間がかかる”ってことをわかっておいた方が楽になるはずです。

今寛解を維持されている方も、年単位で向き合っているのでは?と思います。途中で投げ出さずにコツコツとやってる。

それでも、行きつ戻りつしながら。

葛藤〜受け入れるまで、その人に必要な分だけ“時間がかかる”、それは周りがどんなに頑張っても変えることができない部分な気がします。

病気を受け入れるとは

  • 病識を持つため、信頼できる情報を集める

  • 生活の仕方の工夫を考え実行する

  • これまでと違った進路を進む、変化を受け入れる

これらは、ある程度落ちついて考えられるようになって、取り組めると思います。

これまでと違った道、というのは、思考だけが発症前のままで、体は無理がきかない状態だと、まるで足がもつれて進めない、焦りばかり生むような状態なので、何ができて何ができない、今やっておくと良いことの整理が、“病気を受け入れる”に含まれると考えています。

“病気を受け入れる”ってひとつじゃなくて、「私の人生の質をあげよう」と自ら取り組む事はみんなそこに入ると思います。それをしていると何が起こるか?というと、あんなに囚われていた双極性障害の存在が、自分の中で小さくなっていくんです。

受け入れようと思って受け入れられるものでもないとは思います。時間もかかる。でも、自分が主体的にやっていこうと決めた人から、行きつ戻りつ良くなっていくのではないかと思います。

最後に、病気を受け入れると何が変わるのか?ですが、

  • 焦らなくなる

  • 人に同じ事聞かなくなる

  • 日々淡々となすべきことができるようになる

これは、私の変化ですが、焦ってないのが大きいです。人と違うことを受け入れているので、同じようにできなくてもよくて、私のやり方でやるだけと思っています。

人に同じ事を聞くのも、不安や焦りからだったりしました。

日々淡々となすべきことができる、これも焦っていないからできるようになったのだと思います。そして日々の営みそのものが心身にも良い影響を与えて、好循環を生んでいると感じます。

読んでいただき、ありがとうございました。


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