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8.酔っ払いスイッチのはなし

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 ちょっと寄り道します。

 私はお酒に弱いです。気持ちよく酔っ払うということがわかりません。蒸留酒なんてもってのほか、口の中を火傷したような感じになります。残念ながら味なんて全く感じられません。今度こそ美味しいかもしれないと思って飲んで、毎回動悸息切れ頭痛を味わいます。最初の方で具合が悪くなるので、逆に二日酔いの経験はありません。お酒を「社交のために嗜む程度」という言葉がありますが、ギリギリクリア、できるのでしょうか。

 とはいえ、若い頃、20代前半なんて飲み会に行ってみたいわけで、でもそんなにお酒は飲みたくないし、おつまみはすぐなくなってしまう。どうにかその場の雰囲気にのろう、置いて行かれないようにしようと骨を折っていました。
 その頃、自分のテンションを変えるスイッチがどこかにあるイメージがありました。そのスイッチがオンになると、お酒によってリミッターが外れたハイテンションな人さながら、ハイスピードでしゃべる自分が出来上がります。

 今思えば、この頃はスイッチを入れるコントロールがちょっとできていたなあ、ともったいなく思います。(今なら意図的に入れようとはせずに、むしろ止めますが)
 このスイッチ、楽しさのために濫用していたから病的な状態、つまり躁状態に安易に入れるようになってしまったのかもと思います。確かに、感情のリミッターが振り切れるように笑っていたりもしてたな、と思い出します。その後、ものすごく疲れるのですが。

 違う次元の問題として、多分私は世間一般よりおそらく酒を飲んでいる人、酒に酔った状態の人たちを観察する機会がありませんでした。
 家族に酒を飲む人はいませんでした。幼い頃亡くなった曽祖父が、晩酌にお銚子一本飲んでいましたが、酒を飲む前後で様子が変わることはありませんでした。
 あまり人付き合いもない家だったので、お客さんが来てお酒を飲むシーンは法事かお葬式だけでした。
 ですから、参考になるのはテレビや漫画の酔っ払いの描写だけです。目の前で息をしている、生きている酔っ払いをほとんど見たことがない。つまり、極端な酔っ払い像(フィクションでしかないかもしれない)しか知らなかったわけです。

 酒を飲まずに、(想像上の)酔っ払いになろうとして、なんだかいろいろしくじったな、という話でした。
 普通の人は普通になんとなく感じて振る舞うだろうところ(そうじゃないかも?)を、頭で考えすぎて(それしか方法がないからなんですが)一周回って大失敗、だったのかもと言うお話です。
 飲めないなら、飲めないなりにノンアルコールを飲んで穏やかにしている選択肢は、当時は見えなかったのでしょうね。

つづく


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