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いま、私。虐待のニュースを身近に感じている


娘、7ヵ月
とても愛おしい。

久しぶりに映画 「万引き家族」をみたら
親になってからの自分の変化を感じたので久しぶりにnoteを開きました。


私は家族支援の仕事をしているから
虐待はわりと身近な話題。

子どもから
「虐待された」話を聞いたこともあれば

保護者から
「虐待してしまった」「しそうになった」
という相談をいただくこともある。


その親が、
子に「虐待をした」ことは事実。


でもその周りには様々な環境要因があって

「虐待した親」と
「虐待する親にさせてしまった」環境が
密接に関係している。


「こんなやつが母親になるな」
「母親になる資格がない」
「育てられないなら産むなよ」

虐待した母親には
こんな言葉が浴びせられる。


でもその、虐待した母親だって
数年前は「そっち側」だった。


母親になるまでは
自分がまさか虐待するなんて思っていない。

誰もそんなつもりで産んでいない。


もちろん、私は
虐待は絶対しない。したくない。
してはいけない。そう思っている。


でも、きっとみんな
そう思っていたんだ。


私は母親になってから
虐待のニュースを見た時の気持ちが変化したことに気付く。

理解や共感とは違う。
肯定したいわけでもない。


でも

どうしてそうなったのか

母親がどんな気持ちで
虐待という行為に行き着いたのか


私は今
簡単に想像できてしまう。



そんな自分が、少し怖くなった。
虐待のニュースが他人事と感じていない。



「明日は我が身」
「もしかしたら数年後の自分かもしれない」

そんな気持ちだろうか。
背筋が少しひんやりとする。



虐待のニュースを見るたび
娘を抱いている腕に少し力が入って

私は絶対に虐待なんてしない、
しっかりしなきゃと思う。


「しっかりしなきゃ」を
もう少し具体的にいうと


気をしっかり持たないと、少し油断したら、
何かの小さなきっかけで
自分も虐待する親になってしまうのではないか
ということ。



母親って、生きた心地がしない。

ちょっと大げさだけど、
そんな気持ちになる時がある。



いつも完璧が求められている気がして

少しでもミスをすると、
被害を受けるのは我が子。



母親が、
ご飯を食べている時
おふろに入っている時
トイレにいっている時

こんな人間として最低限の生活をしている時間
=子どもを我慢させている時間なのだ。


誰にもそう言われていないし
誰も完璧を求めていないんだけどね


だって我が子がぐずって
泣きながら待っているんだもん。



急いでご飯をかき込んで
「待たせてごめんね」って言うんだよ。

10分でお風呂に入って
「寂しかったよね、ごめん」って言うの。



そうやってやっと寝かしつけて、
残った僅かな時間をつかって作った離乳食は
床に叩きつけられたりする。


そしてそれを
片付けるのも私。



ちょっとさぼって目を離した隙に
娘は怪我をしたり。

近いからまあいっか、って
面倒で上着を着せなかったら
風邪をひいたり。


自分が少し横着したり
ミスをしたせいで
大好きな我が子がつらい想いをするんだから


母親っていうのは
体調が悪い日も
家族が亡くなった日も
母親をさぼることができないのだ。



息抜きに外出する時も大変。

いつもより2時間早く起きて、
家事を済ませてご飯を用意して。

夫が娘をみてくれて
一人で息抜きに外出することもあるけど


それは「休日」ではなく「有給休暇」なのだ。


会社での休日って
その言葉の通りに「休める」けど


有給の時は前日に残業したりして
有給の日の分の仕事を終わらせておくよね。


その日、自分が休む穴埋めを事前にして
その上で休むよね。


母親の休みって、有給なの。
出かけるために早起きして、帰ってきたら息つく間もなくキッチンへ直行、そこから寝るまで座りもしない。


「有給」とっても
逆に忙しくなるからいいやってなるのよ。



さらに
ワンオペはすごく孤独で


一人で育児・家事をするのが
体力的にきついってこともあるけど


大変な時もひとり。
そして、娘が初めて何かできた時もひとり。



悲しいこと・つらいことを
夫と共有できない孤独もあれば

嬉しいことを、
同じ瞬間に共有できない孤独もある



いつも一人になれなくて
いつも独りなんだ。



そんなことに気付きながらも
1日1日をなんとか乗り越えています。


何度でもいうけど
娘が大好き。

生まれ変わってもあなたの親になりたいし

美容院にいっている間も、
気付くと娘の動画をみて過ごしているよ


毎日こんなに忙しいのに
今の方が、心身ともに健康な気がする



noteで自分の気持ちを整理しながら
発信する余裕もあるし

笑ったり泣いたりする余裕もまだある。



でもね、つい最近
おじいちゃんが亡くなって


同じタイミングで娘が風邪をひいて
寝ずに看病が数日続いて


なんどもゲロかけられて
心配だし、疲れてるし、すり減って。


夜中1:30に起きて家事して
始発で葬儀に行ったりと

悲しみの感情と向き合う時間がなくてね。



今その時のことを振り返ると
「あと一歩だったかもしれない」って思ったの。


もうひとつ何かが重なったら
糸がぷつんと切れたかもって。


その「ひとつ」は
仕事のトラブルかもしれないし
夫との喧嘩かもしれない

雨が降った、
なんて些細なことかもね。


「糸がぷつん」の結果は
もしかしたら虐待だったかもしれないし

少し風邪をひく程度で済んだかな。



わからないけど、
なんだか割と身近なことなんだなって。


絶対しないけど
私は絶対に大丈夫!!って
過信することでもないのかなって。



「虐待をする母親」は
別の星の宇宙人のような遠い存在ではない。

私たちと同じ、母親なのだ。

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