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#03 私の不妊治療

【前回】
#02 不妊治療について、婚約者と考える


翌週、再度婦人科を受診し

夫と話し合ったこと
不妊治療を見据えて妊活をしたい

と伝えました。

先生からの提案
・妊活するなら、若いに超したことはない

・ただ、多嚢胞性卵巣症候群の場合
 まずは排卵のくせをつけたほうがいい

・26歳なら、1年くらいピルを飲んで
 排卵のくせをつけてみる

・1年後〜本格的に妊活を始める予定でどうか

ということでした。


結婚式を挙げたかったこともあり
この1年は、先生の提案通り通院しながら

プライベートでは
入籍・結婚式までやっちゃおう!!

と決めました。


すぐに妊活を始めて
結婚式も諦めるべきかな...

と思っていたので

1年間という時間ができ、
心にも余裕ができました。


それと私は当時、潰瘍性大腸炎を患い
この時すでに治療を初めて2年目でした。

2年間服薬治療を受け
一時期休職していたこともあります。


潰瘍性大腸炎の場合
胃腸炎にかかると症状が重く

脱水状態になると意識を失ったり
月に1回は39℃の高熱をだしていたことも。


潰瘍性大腸炎の薬(アサコール)は
妊娠に影響はなく

妊婦期間も服用できると
主治医・そして婦人科の先生からも
言われていましたが

薬は飲んでないほうがいいのではないか

そもそも体調が整っていたほうが
絶対いいよね?

という持論もあり

ピルを飲んでいる1年間のあいだに
潰瘍性大腸炎の調子も整ったらいいな。
とも思いました。


潰瘍性大腸炎にしても
プライベートの都合にしても

1年間、時間ができたことは
私にとって良いことでした。


そしてこの日

姉に多嚢胞性卵巣症候群と
診断されたことをメールしました。

すぐにネットで調べたようで
いくつか私に質問した後

「治療してでも妊娠できるならよかったよ」

と言ってくれました。


姉も私も教育関係の仕事をしていて、
私が子どもが欲しいことを
わかっているからこその言葉
だったと思います。


私の場合
両親には話せませんでした。

打ち明けても
心配をかけるだけだと思ったし

潰瘍性大腸炎になった時
母に「ごめんね」と
言われたことがあったからです。


私は普段、
発達障がいや知的障がいの家族と
関わっているので

母親のこの気持ちには
何度も触れたことがあります。


子どもが熱を出したとき
なにかの病気になったとき
病気でなくても生活に困難が生じたとき


母親は
「丈夫に産んであげられなくてごめんね」

と思うものなのですね。


誰のせいでもないとわかっているのに
周りの誰に言われたわけでもないのに
医学的根拠もないのに


そう思うのですよね。


だから私は
両親、特に母親には話しませんでした。

いつか妊娠した時
笑い話のように話せたらいいな。
と思いました。


この時から
「私の」不妊治療が始まったのです。


まずは
私だけが妊娠と向き合う1年間。


・多嚢胞性卵巣症候群のため、ピルの服用
・潰瘍性大腸炎の治療
・妊娠前にやりたいことをやる!


その先に待っているであろう、
不妊治療と妊娠に向かって動き始めました。


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