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「飲食業」でずっーと戦わなくて良いよという話。

◯introduction

 以前からずっと読んでいた料理雑誌「料理王国」、その元編集長だった方がnote.で毎日連載をされている。
たまたまなのだが、自分が新潟に戻るきっかけとなったイベントもやって下さっていて、個人的にすごく奇妙な縁を勝手に感じてめちゃめちゃ感謝していてる。。
 
そのページにて少し前に「そうだよなぁ…」と、特に心打たれた文章があった。

しかも、それの解説や補足をclubhouseで聴けると言う機会が。笑
(すごい時代になったもんですぜぇ。。)

◯ポイントは3つ

①紙媒体の需要や意味合いが活字需要があった頃とそれ以降では違う。
・「売れない芸人ほどコンビを解消しない」の様に、考えずに何故か続けてしまっている事が多い。
・「1万字インタビュー」などは紙媒体に需要があったことの例の一つ。
②飲食業界でも出版業会の様なことが起こっているのかもしれない。
・出版に関してはここ5〜6年くらいは、自分たちが内包している鬱屈した気持ちを出したい人達のツールになってしまっている様に感じていた。
→若い世代に新陳代謝していかなかった弊害であり、飲食でも同じ流れが起こっている様に感じられる。
③「勝ち続けたい人」と「そうでない人」がいるということ。
・40代くらいで違う職種や業界に行ってもいい。
・ただし、単に「逃げても良いよ」と言うことだけではない。
「逃げるには絶対的に多様な情報が必要!」と言う事が特に言いたかった。。

◯会話してみて、それぞれが話した事や思ったこと

[とある料理人で今は農家の方。]
・イチゴの例
→みんなが思っているよりもロスが多い商品。(熟れすぎてしまう)
・捨てることに慣れてしまうと「無感情」になってしまう。
→料理人にとっては新しい感覚で衝撃的だった。

[とあるサービスマンの方。]
・「世代」もあるかもしれない。
・シェフにダメだと言われたらダメだった。
=それは若手の成長を狭めてしまう悪しき習慣になっている。。
→他にも道があるというのは一つの救いではある。
・が、「考え方」を考えれば成功する方法がある。
→それをサポートする事が先輩としてや、シェフとしての役割になってきている。

[とある料理人の方。]
・人の成功には色々あっていい。
・料理人としても色々な人と仕事がしたい。
・とは言え、行政など「答えを一つにしたがる」と弊害が出てくる。
ex.摘果したリンゴを使ったシードルの開発→マーケティングや商品設計
→女性や若い世代が飲みやすいもの→結果他の商品と似たもの/全て似た商品が並んでしまう。

◯まとめとして

会話の終着点としては、「飲食から出ることは可能であるべきだが、他の選択肢を支える情報こそがやはり重要」という話にまとまったと思う。
2010年頃からFace Bookが登場し、2015年頃にはInstgram。
改めて考えてみても、世界の情報を得れる機会や方法はどんどん変化している。

料理に関わらずだが、こと料理においても特に大きい変化だったのだと思う。
レシピに限らず、店の雰囲気や料理の完成写真。言語や時間や五感をフル活用すれば、知識として得れるものの幅が圧倒的に増えた。
海外に出ていく料理人にとっても、明らかに連絡する手段や方法が多くなり。また現地にいる他の日本人などともすぐに相談ができる環境となった。
そして、今飲食業で働いている身としても、今までの様に単純な料理スキルだけでは勝負できなくなっているのもヒシヒシと自分の身で感じている。
(ただし、これも基本的にはスキルがある人が考えられる話なのだと思う。)


だからこそ。
死ぬ程悩む事や、疲れる様な環境でいつまでも戦わなくていいと個人的にも思う。

「逃げても良い。」

この言葉だけで救われる人間がいるのだと思うし、自分がその一人だった。
ただ、逃げる分しっかりと勉強はしなければならないし、より仕事にリスペクトを持たなければならない。それだけは間違いない。
そうやって、改めて背中をそっと支えてもらえた気がする。そんな幸せなclubhouseでの1時間だった。

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