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渋沢栄一の成功要因分析


ご無沙汰しております。
成功の研究をコツコツと継続し楽しんでいる木戸です。


今回は、2024年度から福沢諭吉にかわり一万円札の肖像画に採用され、そして、2021年度大河ドラマの主人公にも選ばれた、渋沢栄一について、成功の要因分析を行っていきたいと思います。


今回、木戸が教科書と選定したのは、
『現代語訳 渋沢栄一自伝 (平凡社新書0628) 渋沢 栄一 (著), 守屋 淳 (編集) 』です。
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さっそく渋沢栄一について、私の研究結果をお伝えします。

渋沢栄一とは?

そして、この「プロジェクト」という言葉の意味も、改めて確認しましょう。


「映写する」とか「◯◯計画」、「◯◯事業」といった意味で使用されるのが、「Project」です。
「Project」は「前に投げる」というのが語源です。転じて、「突き出る」といった意味もある言葉です。渋沢は、環境に依存せずに大胆に飛び出す(Project)ことができ、事業(Project)をたくさん作りあげた男。
そうMr.Projectなのです。


では、渋沢栄一が、どれくらい「突き出ていたのか(飛び出していたのか)」を簡単にご紹介しましょう。


大きく人生で3回組織から飛び出しています。

1回目
一生懸命稼いだお金を当たり前のごとく貸せという馬鹿な代官様の下で農商として働いていた頃に、馬鹿の下にいればずっと馬鹿を見るといって、跡継ぎ(農商)にならずに家を飛び出してしまいます。

2回目
攘夷か開国かで国内が揺れ、徳川幕府の弱腰が叩かれている最中に、直訴し徳川幕府に奉公することになりました。うまく仕事をこなしはしていましたが、日が経つにつれて仕事が面白くなくなってしまいました。あげくに、奉公しておきながら徳川幕府は潰れるに違いないとネガティブに考える始末。

この会社の仕事つまらんしこのままじゃいつか潰れるに違いないとボヤくサラリーマンと変わりませんね。

そんな時、徳川慶喜の弟である昭武(あきたけ)のお供でフランスへ行くチャンスをゲットします。くすぶっていた渋沢は喜んで帯同し、徳川幕府を飛び出していきます。
飛び出した先では、フランスの近代化の洗礼を受けました。
これは、タイムマシンにのって未来を見るような経験になりました。人生で特異点と呼べるものでないかと思います。ここで、渋沢栄一は、素晴らしい経験・知識という武器を手に入れます。

3回目
フランスから帰国するとすでに幕府は瓦解、江戸は東京になっていた。
その後、大蔵卿(財務大臣)の伊達宗城(むねなり)から、声がかかり新政府で一国を料理する極めて大きな仕事にとりかかることになった。しかし、できたての政府は各所からの予算要求があり、スッチャカメッチャカで会計を持続させることが困難な状況でした。渋沢栄一としては経費増額を断らなければならず大変。
こんな大変な中、財務実務も根本原理もわかっていない大久保利通が大蔵卿となります。ついには新政府で働くのが嫌になってきます。結局、渋沢栄一は各省の経費増額を却下すべきという意見が上層部に受け入れてもらえなかったことに絶望して、新政府をやめてしまいます。

組織の歯車となって働く人であれば、お上の言うことであるから、Disagree but Commit (同意しないが決まった以上はやる)
そんな気持ちでやっていたでしょう。
しかし、渋沢は、そうではなく飛び出し続けました。しかし、至誠を尽くした渋沢は反目して飛び出すのではなく人間関係の資産は増やし続けています。

その後、民間領域、実業界で銀行設立や保険会社設立に携わることになります。


以上を簡単にまとめるとこんな感じです。


このProjectな男はなぜ成功できたのか?
木戸の結論を示したいと思います。

ポイントは4つです。
❏ OODA思考(意思決定方法)
❏ 人間的土台と武器
❏ タイムマシン戦略
❏ 組織の歯車から創造者へシフト

1つ目、渋沢の意思決定の仕方に目を向けたいと思います。

私達が成功するために、正しく意思決定をするその方法を学び取りましょう。渋沢栄一の場合、日本経済の活性化、列強諸国に負けない力のある日本をという思い目的があり、そして、そこにたどり着く戦略はその都度柔軟に変えています。そこで使われた思考方法は、計画を大事にするPDCA的な発想ではなく、OODAループやVUCAと呼ばれる思考方法でした。

 状況を観る=Observ
 目的に適う方向性を見出す=Orient
 決める=Decide
 動く・試す=Act
状況に合わせて目的達成にかなう打ち手をはなっていくスピード重視の考え方で結果の予測が困難なときに使われる。
岐路に立たされるたびに目的やビジョンに即してピボットしていくようなせんなやり方です。

金井壽宏先生の『働く人のためのキャリアデザイン』(php新書)でもキャリアデザインを<基本キャリアをドリフトさせ➔節目節目では意思決定をしてみては>という考えが紹介されている。OODA思考でキャリアを考えるのはこの金井先生のお考えと非常に似ています。


次に注目したいのは、飛び出し(Project)て終わりではない点です。
渋沢は、仕事の愚痴を漏らし会社を脱出(転職)するサラリーマンのごとく、3回飛び出しています。が、しかし、その都度、渋沢は要職を得ています。飛び出した先でまた声がかかる人です。


そこには、仕事を行う個人として大事なポイントがあります。

2つ目が、人間程土台と武器です。私が見出したのは次の4つです。

① 専門性
小さな頃から読み書き算盤を習い、実家の商売の手伝いにも精を出し早くから商売のセンス、お金の扱い方の実践を積んでおりました。

② 人間性
渋沢は比較的裕福な環境で育ち、多くの人に囲まれ愛されていました。当時から読み書きをならい論語(人の道を説いた書)なども身につけていました。つまり、信頼される人間性を持っていました。実際に上司からも節操が硬いと評価されており推薦されることが多い人物でした。

渋沢は、信頼される人間性と専門性を持っていたということです。いずれも、後天的にも身につけられるものですので、日々の努力が欠かせないでしょう。

③ ネットワーク
更に自伝を分析するとネットワークづくりや仲間づくり友人を大事にしています。

④ 自立心
更に組織や国に依存することのない自立した精神を持っていました。
新政府の歯車になるのではなく、新政府から出て日本経済の発展のために、自身の思いの発揮できる裁量の広いポジションを好んだように見えます。

以上の通り、生きていくための人としての土台がしっかりとしていたのが渋沢栄一で、だからこそ声がかかり、要職を得たのでしょう。しかしながら、ただこの四つの特性だけであれば、似たような能力を持った人は他にもいたでしょう。

そこで、3つ目の要因が出てきます。タイムマシン戦略です。

渋沢は近代社会をフランスで目の当たりにしました。すなわち、タイムマシンに一度のっており、日本社会の次の打ち手が見えていました。

当時では真似のしにくい強い戦略を有していたと言えるでしょう。



最後の4つ目の要因が、組織の歯車から創造者へシフトです。


渋沢栄一は、自分の世界観に合わないものを受け入れるタイプではなく、作り上げた世界観を実現していくタイプでした。なので、歯車であることを選ばず事業家、創造者の道を選びました。
今で言う独立起業に近いでしょう。
特性にあった場所を選んでいたということです。


以上が、木戸の研究結果ですが、この一連の決断の連続は、ある意味で奇跡の連続で、先の4ポイントを実践したところで今の時代に同じような結果を出せるものではないでしょう。タイムマシン戦略も現代では、逆タイムマシン戦略が提唱されたりもしています。


しかし、先人の知恵として、この4つのチェックポイントは、この先の人生で何らかのピボットをするときに参考になるのではと思います。
是非、参考にしていただけたら幸いです。

お付き合いいただきありがとうございました。
コロナ禍の皆様に少しでもお役に立てたら嬉しい木戸でした!

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