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努力しない「努力」について考える

スーパーに行って卵のパックを買っては茹でている以下同文です。

昨日久しぶりに知人と飲んだのですがその時に「最近毎日映画観てるんですよねー。」という話をしたらすごい真面目だねとか努力家だねみたいな事を言われました。

自分ではそんなに努力しているつもりはないので「そんな風に思うんだ。」くらいにしかも思ってなかったのですが、よくよく考えてみると努力しないというのはとても大事なのかもしれないと思ったのでそのことをお話ししていきたいと思います。

努力が続いたことってあります?

小さい頃からいろんな努力をしようと思って色々なことにチャレンジしてきましたが努力が長い間続いたことってあんまり無いなーと思っています。

小さい頃は明日から毎日ランニングするんだ!と思って走り始めたけど3日もしないうちに朝起きれなくて辞めてしまいましたし、大学生の頃に筋トレをするぞ!と思っても1週間くらいで辞めてしまいました。

しかしながら小学一年生から始めたピアノは6年生までずっと続けていたし、高校は1年生の時点で辞めたかったけどなんだかんだ3年通いました。

努力をするぞと思って始めたランニングや筋トレはすぐに辞めましたが、強制的に通わされたピアノや高校は長く続けることが出来ました。

ちなみにピアノや高校に対して努力をしたなぁと思うことは数える程度です。

結局努力というのは続けるために必要な道具ではないんだなぁと思います。
続けるために必要な道具は無意識にやらないきゃいけないみたいな習慣力の方でそこに努力はあんまり必要ではないかなと思っています。

努力は必要じゃないわけじゃないよ

ここまで聞くとじゃあ努力なんていらないのね。と思うかもしれないですがそんなことはなくて、イメージとして努力は短距離走に必要な筋肉で、習慣は長距離走に必要な筋肉みたいなイメージで考えると良いかもしれません。

人生という長い長い長距離走で全体的に順位を上げるための力は習慣の力で、人生の中で短いけれど大きな変化をもたらすものには努力をして一気に走り抜けるみたいな感じかなーと思います。

習慣は辞める方が大変

一回習慣にしてしまえば長く続けられるみたい話を良く聞きますが、逆に言えば辞めるのに相当な力が必要になります。

皆さんはサンクコスト効果というのを知っていますか?
サンクコスト効果とは既に払ってしまった取り戻せないコストがあると合理的な判断ができなくなってしまうというものです。

ギャンブルとかで既に多くのお金を入れちゃったから後には引けないでもっとお金を入れちゃうみたいな心理のことです。

これは習慣化にも応用できそうで、既に何ヶ月もnoteに投稿することを習慣にしてしまったから今更辞めれないよねという状態になってさらに習慣化が強固になるみたいな感じです。

ただ逆に言えば辞める機会をどんどん失ってしまうことだなぁと思っていて、その場合はちゃんと「辞めるための言い訳」を用意しておいた方がいいと思います。

言い訳作りのためには「目標」を設定しておくことで例えばnoteでフォロワーを増やしてお金を稼ぐことが目標ならいくらnoteでフォロワーを増やしてもお金が稼げないと分かったら辞めれますよね?

ちゃんと辞める理由を言えるようにしておくつまり言い訳を用意しておくためにも習慣化でどうなりたいのか?という目標みたいなものは設定しておくといいと思います。

努力の話をしようかと思ったら習慣化の話になってしまいましたが今日はここで終わりたいと思います。

以上以下同文でした。

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