一人で考えていると気づかないこと

階段昇降をしながらnoteを書いたらふくらはぎが痛すぎて泣きそうな以下同文です。(新しい習慣を始める時はいつも苦痛が伴う)

否定されて気づく

先日の投稿で生き方を決める。という投稿をしました。

内容としては「優しく生きることにしました」という決意表明みたいなもんでしたが、この内容をそのまま友達に話してみることにしました。

ちなみにこの投稿はここ最近ではビュー数をスキの数も多い方なので自分の中ではすごく肯定されていた気になっていました。

しかし友達曰く、「優しく生きることは実は結構簡単それ以上に人に攻撃的な生き方は難しい。自分が悪者になってでも、戦う姿勢はあった方がいい。その生き方は逃げているだけじゃない?」

となかなか辛辣な反応でした。
よくぞまぁ落ち込んでいる友達がなんとか決めた決断にそこまで言えるなぁ。と感心してしまいましたが、それが彼の言う優しく生きるだけじゃなくて時には嫌われてもいいから否定することが大事と言うことを体現しているのかなぁとも思いました。

まさか優しくすることが逃げることだと言われると思っていなかったので、正直なかなか辛かったですがやっぱり一人で考えている時は自分の意見が正しく思えてしまうものなんだなぁと思いました。

やっぱり自分の意見を無意識のうちに肯定したいがために人は盲目的になるものです。
その意見を受け入れることで更に視界が広がってより広い世界が見れるんだと感じました。

肯定されて背を押される

次に同じ友達にこの記事で書いた内容も話してみました。
内容は昔楽しい時に作った映画を同じ企画で人生のどん底にいる僕が撮りたいと言うものです。

企画の内容を話した時に友達は面白いと言ってくれました。
自分の中では言語化できていない事も言語化してくれて企画に対してより一層ビジョンが見えてきた気がします。

以前書いたり話したりすると自分の考えている内容が整理できていいよと言う話をしましたが、人に伝えると言うことはそれ以上に素晴らしいことが沢山あるようです。

僕はまだ見てもらえる数やコメントの数が少ないので、実際の話し合いのようにフィードバックは得ることができませんが、noteでも擬似的に再現することは可能だと思っています。(そう考えるとnoteはやっぱり凄いですね。)

っての踏まえてこれからもnote頑張ります。
以上以下同文でした。

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