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桜色の黄金の街

#この街がすき

 わたしが生まれたのは、「黄金町」という街です。
 名前の字面だけ見ると、華やかそうだと言われます。実際、ある意味においては華やかな街でした。

 厳密に言えば、道路を挟んでいるので黄金町駅が最寄りではありますが、住んでいたのは黄金町ではありません。
 親には向こうには行かないように、と言われていました。

 わたしは地元が大好きで、小学校時代は「吉田新田」について調べたり、近所のお年寄りに昔のことを聞くのが好きでした。悲しい歴史のある場所なので「好き」と言うのは不謹慎なのかもしれませんが、なぜか知らなければいけないという思いもあり、祖母の本を借りたり、古本屋さん(この界隈は古書店が今でも数軒あります、素敵です)や図書館に通ったりして調べました。
 吉田新田は横浜市の南区から中区に掛けて存在した新田です。江戸時代前期に吉田勘兵衛によって開墾されました。大岡川と中村川に挟まれた一帯を、関内駅の辺りまで。校外学習で歩いたときは、こんなに広い範囲を江戸時代に埋めたのか、とそのすごさに震えました。
 これは余談ですが、その校外学習で聞いた「お三の宮」の「お三伝説」も衝撃でした。開墾が上手くいかなかったとき、勘兵衛に恩を感じていたお三という女性が自ら人柱に立ったそうです。勘兵衛は申し出を断ろうとしましたが、お三は海へ身を投げた、と。(海、でいいのかはちょっと分かりませんでした)裏付けする史料が何も残っていないということは最近になって記憶の確認のために検索をして知りましたが、史料がないのに残っているというところにも、不思議な感じがします。

 それと、黄金町というと空襲のお話もあります。
 近所のお年寄りに昔のお話を聞いて回っていたとき、黄金町駅周辺が狙われた空襲の話を聞きました。ガード下には焼死体が折り重なっていて、炎から逃れるために三春台の坂を上る人がたくさんいた、と。なぜか当時、わたしの頭にはその様子がリアルに浮かんでいて、しばらく坂が怖かったです。『はだしのゲン』を読んでいた頃だったから余計に絵が浮かび上がったのかもしれません。
 近くに、わたしの知る限りずっと地面も整えられず、壊れたコンクリート剥き出しの駐車場がありました。(実際の場所は現在の状況を考え伏せます)脇にお地蔵さんもいました。そこは空襲のときに遺体置き場だったそうで、工事しようとすると何かしらが起こったために手つかずでいたと祖母は言っていました。
 5月末、偶然黄金町の辺りを通ったときには、駅を見上げて少しだけ佇みます。もう駅に当時の面影はありません。わたしが小さい頃は駅の下に道があり、花屋さんや飲み屋さんがあったような記憶がありますが、いつの間にかなくなっていました。それでも、ここにそういう歴史があるのだと、少し考えてしまうのです。

 ここまでは小学校のときのことで、わたしは外から見た「黄金町」のイメージを知らずに育ちました。
 ダメと言われるとやりたくなる幼稚な好奇心で友人と一度だけ黄金町に入ったことはありますが、すぐに小さなおじいさんが声を掛けて来て、「今は学校で見学しに来たりしないのか」としつこく言われました。距離がものすごく近くて、今にも腕を掴まれそうで、友人と走って逃げました。

 わたしは中学受験組なのですが、中学一年の文化祭のとき、初めて「黄金町」という名前が持つ<裏側>を知りました。
 それは確か生徒会からの後夜祭廃止のお知らせでした。一年生のわたしたち学年は知らないことでしたが、昨年の後夜祭で何か問題が起こったそうで、今年からは開催しないということがつらつらと書かれていました。そこに、「後夜祭は黄金町ではない。」と書かれていたのです。
 わたしの住んでる街? なぜ?
 悪い言葉として使われていることは分かったので、学校では発言せず、家に帰ってから母に訊ねました。
 母は、六十過ぎのくらいの人だと今でもそう言う人はいるかもしれないね、と言いました。
 それ以上はあまり深く聞けませんでしたが、それ以降、なんとなくそこがどういう場所なのか分かるようになっていきました。行動範囲が広がったこともあると思います。
 相変わらず黄金町の中には入らずにいましたが、まず、制服で近くをうろうろとしていると声を掛けられます。店に連れて行けと絡まれたり、私服は私服で男に間違われてお姉さんに腕を掴まれたり。
 それから、電車から黄金町の通りを見下ろすと、建物からいつもピンクの灯りが漏れていました。セーラー服を着た女性(当時のわたしからは結構な年齢に見えました)が手招きしている姿も見ました。
 そこには、いわゆる売春宿が現代まで残っていました。
 その辺りは戦後の歴史が関わってくるのですが、割愛します。
 つまり、前年に不純異性交遊があったから、後夜祭を廃止する、ということだったようです。住んでる人間もいるんだから、はっきり書けばいいのに。もしかしたらあそこは教師が書いたのかもしれません、学生が知っているとは思えないことでしたので。

 その後、警察の業務を追うような番組で度々近所が出るようになり、もうその頃には直接誰かに確認したわけでもないけれど色々と知っていました。あの辺りは黄金町に限らず、あらゆる犯罪が日々表出していましたので、住人も慣れたものでした。

 月日は流れ、だんだんとテレビで伊勢佐木警察(管轄警察署)の名前を聞くことも減り、もう黄金町にはピンクの灯りはなく、桜の時期には人や屋台が溢れています。
 この辺りの変化も詳しくはないため割愛しますが、今「黄金町」と検索すると、一番に「最先端をゆく街」「クリエイティブなシーン」と出ます。
 高架下には広場やホステル・カフェ、アーティストのためのスタジオなどがあり、様々なジャンルのアート作品を見掛けます。ただ、たまに行ってみるのですが、知らない人間にはどうしていいか分からず、人もイベントのとき以外は出歩いていないため、アートに疎いわたしには気になるけれど入り込めない場所でもあります。ちょっと悔しいです。
 結構早い段階でカフェなどもできていたのですが、そちらも一元お断りの雰囲気があって躊躇してしまって。一風変わったお店なことが多いので、ザ・普通のわたしが行ってもいいのだろうか、と。
 でも地元好きなんです、創ることも昔から好きなんです。最近は地味にボランティア募集してないかなと探したりしています。

 すでに十年以上前に引っ越してしまい、わたしは黄金町にはいませんが、いつか戻りたいと思っています。
 大好きな場所がたくさんあります。いくつか紹介させてください。

・シネマ・ジャック&ベティ
https://www.jackandbetty.net/
 大好きな映画館です。映画への愛をとても感じる館内で、吉田しんこさんというイラストレーターさんの描かれたジャックとベティの上映前注意を観て、さあ映画が始まるぞっていう時間が、本当に幸せです。

・大野屋書店
 子供の頃、いつもご褒美を買ってもらった本屋さんです。漫画にはまった頃にも大変お世話になりました。ここのブックカバーは、わたしが知る中で一番格好良いです。黒い紙にシルバーで印刷されています。

大野屋さんのブックカバー

・アートアンドシロップ
https://artandsyrup.com/
 つい最近、友人に勧められて行った阪東橋にあるギャラリー兼カフェというお店です。ギャラリーで展示されている作品、カフェのパンやお茶は、縁あってここにあるというお話をオーナーさんご本人から窺い、とても好きになりました。

 色々な歴史があって、それはあまり良くないイメージに思われてしまうことが多い。わたし自身、正直嫌な思い出も多い街です。ですが、過去も含め、わたしはこの街が大好きです。
 住んでいた場所もあるとは思いますが、黄金町は近くにいたのに遠い街でした。正直、わたしが知っているのはインターネットが普及した現在だから簡単に検索することができる事柄ばかりです。
 ピンクの灯りの内側については、本で読みました。入ってはいけないと言われ、怖くて一本隣りの道は通るのに入れなかった道に、入って調べた方がいます。

『黄金町マリア 横浜黄金町路上の娼婦たち』 八木澤 高明・著 (亜紀書房)

 この本を読んだとき、入ろうと思えば入れた街なのだと今更ながらに思いました。
 本当は、忘れて欲しいと思っている方も多いのかもしれません。
 先日、黄金町のアートではピンクのライト等の使用が禁止されているという話を聞きました。理由は、あの頃をちらっとでも知っていれば察しが付きます。
 でも、わたしはこの本を読んで、忘れてはいけないのだと思いました。覚えていたいです。それは「黄金町」を悪い例として揶揄するのではなく、過去があって未来がある、そういう場所の一つとして。

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