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気付かせて貰いながら11月シマワレル

バス停に着くとご婦人に声掛けられ そこから少し距離のある病院への行き方分かるかと尋ねられ Yesと答えると「この人に教えてあげて」ともう一人のご婦人が現れる
そこの停留所のバスでは直通で行けないと説明すると「病院までの道知りたくて歩いて行きたいんです」とおっしゃる
あ そうなのねと一番簡単な道順を説明して「お楽しみくださいねー」とバス停並びに戻ると先ほどのご婦人に道順伝えたご婦人がお礼を言って去ろうとしたら「バスで〇〇まで行くとね 近いのよ」とその方へ説明始める

うん そうなんだけどね この方は「歩いて行きたい」がご希望なんだよね と思って聞いていたけどバスpushが終わりそうもないんで「そうですね~でもお散歩がてら歩いて行かれたいみたいですよ~」と会話をシャットアウトさせお尋ねご婦人は去って行った
その後も声掛けしてきたご婦人は「でもねぇ~バスの方が楽だし近いのよぉ~ すごいわねー私なんて1つ先でもバス乗っちゃうわぁ」とまだ続けていてテキトーに聞いていた



この声掛けご婦人に悪気はないし 歩くと20分ちょいかかる距離だったから実際バス使った方が楽なのだけど
だけどお尋ねご婦人のご希望は「歩きたい」だった

これがもうご婦人たちの観ている世界が違うということをよく現わしていて どれだけその方が楽で親切であってもそれはその人の世界のお話であって もう一人の「歩きたい」方からしたら親切でも何でもない

声掛けご婦人はご自身が常にバスを利用して移動しているからそれが当たり前であり「歩くのは大変 歩くのはツライ」となっているみたいで先ほどのようなバスpushになったみたい



でもそれはその人から見た「当たり前の世界」でしかなくて それを盾にその当り前を推し勧めるのはまたちょっと違うかなーと感じる
でもこのご婦人はあくまでも親切心でそう話しただけなんだろう

自分の当たり前 の世界からしか眺めないようになると今回みたいな事が起きてみたりして それは結構ご年配の方々に多いかなーと感じる

「歩きたい」という希望を聞いてもなおバスを勧めちゃうのは もう自分の世界が絶対となっているからで 自分の世界ではそれが一番良いからそれを教えてあげる という構図が出来ちゃう

これからはこういったある種 ”分離” が分かり易く起きてくるんだろうと思う
そしてあちら側の方にこちら側の声は届かない

どちらがイイワルイではなくて 固めている方々は更にご自分の世界に深く入り込んで行くから交われない



とか言いながら 私もバス停で尋ねられたもんだからバス使うのかと鼻っから思って初めはそちらを案内しちゃった
バス停だからバス使って行くんだろう という勝手な思い込み

こんなのしょっちゅうアルアルで
そこでその思い込みに気付けるかどうか

気付いたら またやっちゃったーと思いながら
単純に「そうか バス停だからバスとは限らんな」と納得して 次はもっとオープンでいたいなあと思う

声掛けご婦人にも特にどーとも思わず
ただ 自分の世界だけから見るとこう現れるのかーと
きっと私もアルアルだろうから
また気づけたらいいなと思う


いつもの神社のサイコーな彩(いろどり)たち


ようやく紅葉を楽しめる気候になったなーと思ったら
もう11月もオシマイとなり
今年何回言ってるか分からないけど
本当に早い

さてさて暦は今年あと1枚となり
まさかの年末月がやってくる

秋から冬へ駆け抜け始めた霜月
お疲れさまでした!

ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。