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「自分」のものではない

ひとそれぞれ
思いクセのようなものは
持っていて

それは確かに
育ってきた環境やらで身に付けたり
社会という中で身に付けたり
まあ色々あるけれども

確かに
その人個性に属する思いクセ
みたいなのはあって
それをほどいていくのは
必要なんだけれど

"こいう環境だったからこうなった"
みたいなくくりは
もう要らないんじゃないかな



「自分」からみると
これまでの人生からそう感じたり
するのだけれども

違う視点で観ると

その個性特質と呼べるエネルギーに
関連しやすい思いクセ
と呼べるエネルギーがあって

それは 誰かの今世 ということではなく
いま というこの瞬間
ぜんぶのぜんぶがあり

いつかのナニカが放った
そのエネルギーが
いま 現れてるというだけだから

それを「自分」のものとして
思い悩む必要も
それにクルシム必要も
全くない


確かに「自分」がそれを持っていて
それで縛られたりはしてると感じるから
それはそれでいいのだけれど

そういった思いクセみたいなのを
見付けたら

ただ淡々と
外して行くだけで大丈夫

ちょっと余裕があるのなら
「これは自分のものではない」と
宣言しちゃってもいい

だってそれは
あなた「個人」のものでは
ないのだから

そこは
ちょっとした勘違い

だから淡々と
「あら見付けちゃった」くらいの軽さで

ポイっ と



これからも
沢山そんなのは出てくると思うけど

ぜんぶね 過去 なの

もうね
過去 に縛られる必要はないの

「過去がある」という確固たる思いを
そろそろほどいて
過去から未来へという連続性も
頭の中だけなのだと


いま を観る
いま にいる



過去ばかりを観ていると
いま を見逃しちゃうから

いま 何を感じ
いま 何を想っているか
いま どんなエネルギーでいるか

それが
過去はないけれど
いま ある古のものらを
癒すことになるから


いま に在って
ここ で在って


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kitoma
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。