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ツナガリのカクダイ

朝目覚めてカーテンを開けたらナニカが変わっていた。目の前に映る景色は同じ。でもナニカが変わったらしい。なんだ?


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うん、こーいう時は神社だね。お空に聴いてもよくわからん。ただ、ものすごく優しい空気が広がっている。
さて、お散歩だー。


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裏門から鳥居を一歩くぐると、この前来た時の静けさとはまったく違っていて。
なんだろう? 樹々が喜んでる。和らいでる。ゆらりゆらりと踊ってる。
あまりの違いとちょっと初めての感覚に樹々に尋ねてみるけど、どの樹も優しく笑って喜んでいるだけで何も返ってはこない。うーむ。
辺りいっぱい優しさで溢れていて。風はちょっと冷たいお天気だったのに、身体がホンワカする。
とにかく嬉しそうで。風で葉々を揺らしては笑い声があちらこちらで聴こえてるようで。
よく分からないけど、その場にいるだけでこっちも優しく嬉しくなっちゃう。


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椿の蕾もふくらみだして。
羽のオプション着けちゃったりして。

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今日も光であふれてる。

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境内は今日も七五三参りの家族でいっぱい。
可愛い着物を着た女の子がトコトコ走ってきて、私の方へ顔を向けニコッと笑いながら走り去って行く。くったくのない笑顔。素敵なプレゼント。ありがとうー。


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社殿内も大賑わいで、門外少し離れて真正面に立たせてもらう。
うん、笑ってるね。真ん中横広がりで優しく緩やかに楽しそう。オヨロコビ。


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どうやら、真ん中あたりの横の繋がり広がりが始まったらしい。真ん中あたりというのは、身体の真んなか第3~第5チャクラまでの縦幅。おへそ上あたりから顔下くらいまでかな。そのあたりの横への広がり繋がりの整えがされてるっぽい。うーん、おそらくもう繋がってはいて、それの地ならしというか調整というか身体への浸透とでもいうか、そんな感じなのかな。

いつもの樹に触れたとき、初め3~5チャクラ間だけ抜けちゃってて空っぽで、アレ?となって。別の樹触れたあと改めて触らせて貰ったら、空っぽじゃなくて横にバーンと広がってるんだった。身体突き抜けちゃってるから、そこだけ何も無いように感じたみたい。あービックリした。

少し前に第2チャクラ、おへそちょっと下辺りまでの横繋がりが整え完了したのは感じていた。いつだったかな。書いた気もする。土台の完了。地の根が張り、横との繋がり。この部分は今もずっと定着の深まりが続いている。更なる安定。
その上ゾーンの横繋がりが出来たのね。そのオヨロコビだったのね。なるほどー。

ここはハートが含まれるから、しっかり浸透したら強力ね。感覚も開いていく。横広がり繋がりだから、周りとのコミュニケーション。人だけでなくそれ以外のものとも。


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ぐるっと回ってまた裏門近くまで来た時、もう樹々は静かだった。
それでも光だけが、言葉なき導きをポツンポツンと落としてくれている。


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暦の上では今日から「立冬」。
ちゃんとこの頃から空気の冷たさも変わる。なんなんだろう、この自然の素晴らしさ。


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最近よく「全体から観なさい」と飛んでくる。
今日も身体の真ん中スポッと抜けて驚いてたら「引いて。全体で。」とのことなので、ゆるめて意識ひろげると、なるほどとなったりする。
この身体輪郭だけで捉えてるとそこだけスポッと抜けてるように思えるのだけど、ぶわっと範囲広げて観れば、抜けてるのではなくそのゾーンが突き抜けて広がってるだけで。
なるほどなー、面白いなーと思う。

身体という枠組みありきで捉えられる感覚と、枠組みなしで捉えられる感覚が違う。
枠組みありだと、どうしても個というか「身体の中」という感じで観てしまうので、それはそれで「個」を感じるにはいいけれど、さっきの私みたいにそれ以外の感覚までなかなか及ばないし「ウチ・ソト」から出られない。


ああそうか。身体という枠組みへの固定観念が、知らずに少しずつゆるんで観れるようになるのかもしれないね。自然にね。


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さてさて
真ん中ツナガリが整って安定することでどうなるのかな。

楽しみね。


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