見出し画像

人それぞれのスバラシサ

久しぶりに仕事の相方サンとランチ。
今は交代制だからランチ一緒にすることはほぼなく、うーん1年ぶりくらいかな?

相方サンはまんまの人。私からみたらそのまんま。だから好き。
同世代でお互い気が強いからぶつかる時はぶつかるけど、ちゃんと本音を話せばわかる人。
相方さんのすごいとこは、話の流れの中でちょっと自分の中で引っ掛かった所があれば、そのままにしないとこ。その場では流れてしまっても、家とかで「何だったんだろう」と思い返しちゃんと答えに辿り着く。

先日も引き継ぎ会話の中での私の言葉にアンテナ立ったらしく。私としては大した内容でなかったし急ぎではないので解明突っ込みはせず、言葉の投げ掛けだけしといた事だった。普通はこの投げ掛けも気付かない人が多い。けれど相方さんは翌日会うなり「昨日の、ごめんねー」とやって来た。家でハタと気付いたらしい。
もひとつイイとこは、このすぐ謝れるところ。勘違いにしろ何にしろ、自分が違ってたなーと気付けば相手関係なくちゃんと言葉にして伝えられる人。これ、出来そうで出来ない。気付いても敢えてはそれを伝えないとか。

私とアンテナ立つのは似てるのだけど、視点が違うので面白い。会議が終わった後とかに「あの考え方は自分にはないから助かる~勉強になる~」と語りかけてくる。それを素直に言葉に出して言えちゃうのもすごいとこ。

そう言えば私の身体の話を初めて伝えた時、固まってる指を見てガシッとつかみ、伸ばそうとしたのは相方さんが初めてで大笑いしたのを思い出した。
おそらく間近でちゃんと見るのも初めてで、本来動く所まで動かないもんだから単に「え?」てな感じで伸ばそうとしたんだろう。子供みたいに。
本気で引っ張ろうとするもんだから、慌ててストップかけ「あんたねー、ヨボヨボのご老人だったらホントに骨ポキッとなるから、誰彼構わず同じことしないでよ」とかなんとか言った気がする。
それまで伝えた人達は、驚きか哀れみか見ないふりかどれかだったので、そのあまりにも素直で単純な反応が嬉しく、救われた。

何でも引き受けてしまう相方さんだから、私に対しても「大丈夫?やってあげる」とやたら気遣ってくれ、私としてはそこが一番気になってた所だったので「やれる事は自分でやる。出来ないことはお願いするからやってくれ」と話し、少しずつ「見守る」事に慣れていってくれた。先に身体が動いてしまう人にとって「待つ」というのは結構キツイはずなのに、私からお願いされるまでは手を出さないよう頑張ってくれた。だから私も物理的に出来ない事は素直にお願いできる。
しばらくしてから「何でもやってあげる事が良い事ではないんだね。」とボソッとつぶやいてた相方さんに、やっぱりそーゆうとこ好きだなぁと伝えた。

その場その時は無理でも、ちゃんと一旦は受け入れ自分の中で考えられる人。私から「やってあげすぎだよ」と言われムッとしながらも私の言っている意を理解しようとしてくれる人。
たぶんこういう人は、その場に転がっているちょっとした事にもアンテナ張れて拾う事ができ、自分の喜びへと変えられる種を持っている人。

アンテナ立ってしまう分、気が回りすぎて手を出しすぎて疲れてしまう。そして、やれば喜ばれるから、つい周りにいい顔もしてしまう。
自分でもその二面性は気付いてたけど習慣化してしまってるから出てしまう。それでそれ迄生きてきたから。

私がそれまでのなあなあ風習に習わず「無理ですねぇ~。あ、前はそうだったんですか?今は変わってますので。」「こっちの方がお互いスムーズですよね?」とバッサリ切り捨てるスタイルで仕事するのに対して始めは驚きとハラハラしながら見てたみたいだけど、少しずつ持ち前の自分へのチャレンジ精神を発揮して、自分の中の腑に落ちてなかった部分を整理していってたのもさすがだなーと思ってる。
始めは色々葛藤してたみたいだけど、落ち着いた頃「自分も、そうなのになと思いながら仕事してた所があった。でも周りが皆そうだからそれでいいんだと思ってた。やっぱり違うよね。」と伝えてくれた。

いや、私コトバでは伝えてないのに、ちゃんと受け止めてくれて実行してくれて。どれだけ嬉しかったか。他の人達は裏ではあーだこーだと言ってても私本人には何も言っても来ないのに。
「今回はビシッと断った」と自慢気に話すのを聞いて「そりゃよかったね。オメデトウ」とふざけた会話でどれだけお互い笑ったか。

素敵な人達に支えられ今こうしていられる。
本当にありがたい。

ランチ楽しかったね。
ありがとう

ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。