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自我をめぐるストーリー piece_Vol.96

新月パワーが
ようやく落ち着きつつある今宵

そうなのよ
わかっているのよ
でもみえないのよ
ってのが暫くあって
気配は感じるのにつかめなくて
観ようにも掘り下げようも出来なくて
うーむ となっていたものが
あるよ~ってお知らせ続いて来たから
こりゃーやらんとなと角度をちょっと
変えて観たら
ストンと入ることができて
コトが動いた


どうも
自我が自我で絡まってるとこみたいで
がっちりガードされていて
ちゃんと意さないとダメだったみたい

腹決めて
本気で向かい合うと決めたら
少し緩んで おっ!と思って
一気に気を抜かず向かい合ってたら
多分見せたくなかったものが出てきて
ああこれか と思い
淡々と そうだよなーとか感じてたら
そのうちシマワレた



何かあるのは分かってたのだけど
あまりに待ちくたびれて
現れたものには 驚きよりも
なるほどねーって感じで
ああだからここと結びつくのかとか
こんがらがってるなーとか
その仕組み自体に興味が行って
シマワレル頃には ほーぉ となっていた

いつも
すごいなーと思うのは
その時は集中してるから
後から気づいたのだけど
シマワレル少し前の時間で
それにまつわる連絡が入っていて
”自分” というものの意識が変わると
ちゃんと現象も動くのね



私は自分というもので実体験して
そうなの?って実験してるようなものだから
もう偶然とかたまたまとか
そんな風には感じられない

そうなっている としか言えない

それが流れに沿っている事なら
本心の方向性のようなものに
沿ってるものなら
必ず何かしらの分かる形で
メッセが来る

そのメッセがそうだと分かるのは
それに触れた瞬間
言葉なく 思考なく
ほっとする し 
その瞬間やらねばならぬことに
先に身体が動いてる

その直後から
本当によかったの? とか
合ってるの? とか色々出てくるけれど

もうその前に
一瞬の ほっ を感じてしまっているから
引っ張られても 戻れない事はない

だから
自分の真ん中の 安心感 を
感じて知っていることは
だいじだなーと

瞬間の合図 のようなもの


自我 というのは
本当に巧みに精妙にすり替えたり
書き換えたりするから

今回なかなか 観えなかった のも

コアになるオソレがあって
そこを見せるとある意味衝撃というか
結構な破壊力があるから
その破壊力で 自我が見つかる 
自我の本性が見つかる のがヤだったみたいで

コアなオソレも自我から来てるのに
見せたくない という自我が働いて
何だかよく分からないことになってたみたい

まあこう書くと
まるで自我に自意識でもあるかのように
捉えてしまうかもだけど
そんなものはなくて

自我はオソレやフアンというものを
起動力にはたらくもんだから
そして自我は
自分がニセモノだと知ってるから
自分のニセモノさを気づかれることも
オソレたりして
笑っちゃうのだけど
そんなものらが絡まって
観えにくくなることもあるみたい



でも いつもいつも
この 自我の足掻き のようなものは
強く感じる

自分 を 諦めきれない
何とも言えない強い動き

だから
外側でまだ何か出来るんじゃないか とか
つい思っちゃう

でも
そっちには 何もない



この世界に正解なんてなくて

自我からすれば
今の私は合ってるの?
ちゃんと出来てるの?
こっちでいいの?
と騒ぎ探し求めるけれど

何をしてようと
そうでしかなくて
それしかない

だから
逆から観れば それでいい となるし
もっと砕けて言えば
なんでもいい になっちゃう

そんな自我さんで居ても
何でこいつはこんなにヘンテコリンなのかなーと
その設定を敢えてしてきたのであれば
本当に呆れてしまう感じなのだけど
そう動いた時に
自我ではないところが反応するから
多分そうなんだろう
そして そうでなくても
それはそれでそうなってるんだろう

アホだなーと思う

どこまでも体験したくて
どこからでも
大丈夫なんだよー と
体現したいみたいね

そしてもう
そうなる とどこかで知っている
ほらね 大丈夫だったでしょ と
みえている



ニンゲン ってやつの
ほんとうの楽しみを味わうのは
これからなのかもしれない


わたしも
あなたも

ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。