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癒しは日々のなかで

胡麻を煎る至福の時間。

平べったい生胡麻が少しずつ温められ、香りを放ち始める。
段々とふっくらし、パチパチと小さな音で「そろそろですよー」と教えてくれる。
黄金色混じりになった煎り胡麻を、今度はすり鉢でると香ばしさが一気にひろがる。


八百屋さんでパセリに呼ばれる。
「大束100円」とあり確かに沢山入ってる。うーん?と思ったけど取り敢えず買ってみる。
家に戻って開けてみたら、パセリがびっくり箱のように飛び出してきた。「な、なんだキミはー?」と思ったけど一瞬花瓶に飾ってみる。

写真見た目よりもっとモコモコ

おうちに小いさな森が現れた。
そんなこと言ってる場合じゃない量だったので、その日使う分以外のは冷凍しようと茎から葉を分け始める。
セール品かと思いきや、パリパリの新鮮さに驚く。
手でプチプチと千切ちぎるたびに、パセリの香りが飛び出してくる。よく考えりゃパセリもハーブみたいなものだものね、とか思いながらなーんも考えずにひたすらプチプチやっていたら、全部千切り終える頃にはすっかり内面が静かになってしまっていた。
ほぉーお、と思う。

正直パセリ千切ってあそこまで落ち着くとは思ってなくて。まあ結構長めの時間はかかってますが。手で直接千切るってのもミソかもしれません。香りもそうですが、指先がパセリの新鮮さをずーっと感じてました。

リラックスするのに香りを使い、アロマ買うとか色々あると思うのですが、日常の生活の中でも知らずうちに結構癒されてるんだろうなーと思います。

私の場合は胡麻煎りはサイコーのリラックスになります。
生胡麻煎るのは大変じゃないかと思うかも(私はそう思ってました)ですが、側に着き始めるのはプチプチ弾けるのが落ち着いた頃なので、それまでは弱火ほったらかしで時々かき混ぜるくらいで他のことをやってます。
それ程大変でもないのに、プチプチ弾ける音や煎った時と擂った時のそれぞれの香り、煎れた合図の胡麻が軽くなる感じ、擂る時の粒々からだんだんさまが変わり重さも変わる感じ、香りによるリラックス、更にはこのあと味まで楽しめるという、一石二鳥ならず何鳥にも私に喜びをもたらしてくれる作業なのです。

パセリは普段あそこまで多量は買わないので、やり終わった後リラックスしてたのは意外な発見だったのですが、家事でも何でも淡々黙々とやってると真ん中整うよなーと感じます。

「アロマの香りはリラックス出来る」と聞いて「買わなきゃ」となり探した事もあるのですが、自然じゃない香りが苦手な私にはアロマもピンとくるものがなくて結局買わず。

そのうち嗅覚の過敏さを増したのか、日常の生活の中である香りでも充分リラックスできるなーと感じるように。
お野菜茹でたり蒸したりした時の香り、果物剥いたり切った時の香り、豆の筋を取ってる時の香りなどなど、その殆んどが料理にまつわることだったり食材だったりするので、だから私は料理するのがそれ程苦ではないのかもしれません。
もちろんメンドクサイなーと思う時も多々ありますが、私にとっては作業自体が楽しめてリラックスになるようなので(しかもその後お腹も満たされる!)、わざわざどこかに(癒しを求めて)何かやりにいかなくても結構な息抜きになります。

好みは人それぞれだから違うと思いますが、意外と誰でも見渡してみたら身近なところで癒しのもとがあるのかもなーと思ったりします。


4月に入ってからの変化のスピード加速とブンブン振り回される感じ、感情アップダウンの繰り返しがすごいなーと感じています。
そして一瞬の濃密さ。なんかギュッっと濃縮されて日々が過ぎていく感じ。
今までと違うこの感じに身体がまだ着いていけず、夜にはぐったりーというのもあるかもしれません。

今までとちょっと違うのは、その一瞬の濃密さに、自分への気付きが含まれているということ。
これ迄でだったら単なる出来事としてスルー出来てきた自分事が、何らかのカタチで目を向けるようになっている。それは本人が気が付かなくても意識の向ける先が変わってきているような感じなので、その今までやってなかったものへの抵抗や変な感覚にもまだ身体は慣れず疲れるよなあと。


それでもやっぱり感じるのは、モノゴトはちゃんとその人それぞれヨシナに順番に現れてるんだなあということで。

自分がどれだけ望まない出来事でも、思いもよらない出来事でも、ちゃんと後から観たら繋がっていて、しかも最善の方法で最短ルートだったりします。
ザンネンなのは後からでしか分からないということですが。

それもその時騒いでいるのは先が分からないと不安がる自我クンで、よーくよーく考えれば、先が分かってる物事なんてひとつもないですから、分からないまま今まで生きて来れてますから、だからきっと大丈夫なんです。

それは今まで生きてこれた自分への信頼なのかもしれません。

その信頼が深まり、自分ではない何となくの大きな流れのようなものがあるんだなーと感じるのかもしれません。

自分が前のめりになって頑張って何かしようとしなくても、もしかしたら大丈夫なんじゃないかと思えるようなスキマが出来るのかもしれません。

そのスキマから風が通り、水が湧きやがて溜まり、安心という湖にプカプカ浮いてるかもしれません。


胡麻でもパセリでも、その時その場に連れ戻してくれて、ありがたいなーと感じます。

日々のなかで
そんな小さな驚きと
発見を繰り返しながら

いま が
またどこかへ
消えていきます

不可思議が
楽しんでいるようです



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