![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/93096841/rectangle_large_type_2_05332863dce4105801eac7dee7b6fe9a.jpeg?width=800)
かこまれていた
ギフトというのは
さまざまな形で訪れていて
そうでないと思っていたものが
実はギフトだったり
そのまんまというか
ストレートではない現れ方も
たくさんあって
その
実はギフトだったんだと
気づきのほころびのようなものを
見つけると
あれも これも
それもそうだった と
辺りすべてがギフトで埋め尽くされて
何ともいえない心もちになる
![](https://assets.st-note.com/img/1670759489165-vt83atIalz.jpg?width=800)
何をギフトと感じるか は
その人それぞれ
その時しだいで
でも
見方ひとつで
この当たり前にある空気さえも
ギフトとなる
自分 というものが
ゆるめば緩むほど
ギフトとして現れ感じるものが
増えてくる ように感じる
![](https://assets.st-note.com/img/1670759533480-4aI2nnkzPt.jpg?width=800)
ギフトという言葉でなくても
ありがたさ でも
いいかもしれない
![](https://assets.st-note.com/img/1670759568306-UsDqh6Vl8r.jpg?width=800)
ありがたい が
いっぱいある
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。