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見せかけが揺らいで見えてくるもの

36度とか37度とかそんな気温を体感すると 31~2度くらいじゃなーんてことない感じになって 何なら涼しいとさえ感じてしまう この感覚というものがいかにテキトーで曖昧なものか

いやいや 感覚がテキトーなんじゃなくて 〇度だから暑い という概念が常にあっての予測であり
でも体感とか感覚とかそーいったものは直前の流れからも来るのだから それまで暑いのに慣れた身体にはいつもなら高温と感じる暑さの数字でもそうでなくなるのだから
だから その時になってみなきゃ分からないもんで 確かにある程度の予測とかは助けになる部分もあるけれど その情報をガッシリ抱え込んで 恐れの方向に気分を持っていかれるようならば そんな情報取り入れないで 起きたその時々の自分の感覚に従った方がよっぽどラクなんじゃーないのかしらん

そもそも本当に必要な情報やらは こちらから求めなくてもちゃんと届くようになってるし それは外側からも内側からも 色んなカタチがあるのだから 今まで通り外からばっかり何かを得ようとするよりも 内なる感覚のアンテナの精度を上げた方が これからはいいような気がするけどなあ



日常というものの捉え方が根本的に変わって来ていて その「変わってきている」ということに気が付き始めると 今までの習慣的な行動 というものと相反するから そこで何かムズムズ感というか小さな違和感というようなものが生まれてきて ちょっとした混乱が訪れるかもしれないけれど

それに慣れてくると そこに少しの隙間のようなユトリが出来て そこに「今まで」と「いま」が同時に垣間見えるような感覚になる

今までの自分がやっていた事と今の自分が感じていることのギャップのようなもの そんなものが よく分からないけれど解る ようになって まるで自分の中が分離したようにも感じるかもしれないけど
それは分離ではなくて 状態の把握 のようなものだから どこかおかしな所へ飛んじゃった訳でもないし 特別なことが起きてる訳でもない



多分いまのこの変化の流れの中のどこかで 自分というものの特別性 みたいなものと直面する時があると思うんだよなあー
それは自我の特技みたいなものだから マヤカシ解除前には必ず出てくるだろうし 誰でも持っているもの

持ってて全然いいし それがあるからこそ今までの時代を生きて来れたのだから ある意味有難いものだったとも言えるのだけど
ステージ変えようと思ったらこの 自分の特別性 は見なかった事には出来ない側面だから もし見つけちゃったらもう諦めて真正面からご対面したほうが今は速いんだろうなー



自分が何かの特別でありたい と
どこかに持っているから
そこから 価値観への執着とか
自己批判とか卑下とか
色んなものへ波及しているけれど

みーんなそれぞれが
特別なのであって

誰か や 何か の
特別であろうとするから
ちょっと方向が違っちゃっているだけで

自分が自分の特別なんだし
この世界の 宇宙の
唯一つでしか在りえないもの
なのであって

それは
ありとあらゆるもの
全ての人々 全てのあなた
みーんなが そう

みーんなが
それぞれ 特別



誰か や 何か に
認めてもらえるよりも

自分で自分が
認められる方が

ずーっとずーっとステキで
もんのすごくパワフル



いまはみんな
それに気が付こうとしている


ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。