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近しいからこそみえるもの

合わなくなっている人には 本当に会う機会が無くなったり 接点がなくなったりしてきているのだけど それは身内でも同じで
今までは 家族だから とか 親類だから 兄妹だから とか そういった血縁の縛りのようなもので 「だから合わせなければいけない」「上手くやらないと生きていけない」とかなっていたのだけど
今はそれすらとーっても自然な形で合わせなくて済むようになってきている



親だろうが兄妹だろうが 家族と呼ばれるものだって個々の違う人間であって 確かに血縁というもので継がれているものはあるのかもしれないけれど 「環境」や「時代背景」というものが個性の育成に結構な関りがあるのだから 親子なんて環境や時代背景がまるっきり違うのだから 価値観やらが異なるのは当たり前だろうと思うのだけれど
そこに 親だから 子だから という「肩書/役割」にそれぞれ意味づけされているものが紐づくことによって かつての思い込みや思いクセからしかそれらを視ることしか出来なくなっていた
今はもうそれらの縛りがなくなって 見え方捉え方も変わってきている

うーん でもこれは地方や過疎化の場所になればなるほどまだ浸透はしてないかもしれないなあ その場の風習やらが集団化して強く残っている所もあるからなあー



肩書や役割といったものから離れて観れるようになればなるほど 人付き合いは楽になるし自然になっていくのだけど ここで最後まで踏ん張って残っちゃうのが 家族との繋がりのようなもので 近しければ近しいほど この肩書や役割を取っ払って その人そのものを観る ということが難しく感じちゃうからなー

地球で生活するうえで括られるもので 一番近くて強いものかもしれないけれど でも 家族だろうが親や子だろうが それぞれ別の人間であることには変わりなくて
ただの人 として親を観たとき ただの人 として子を観たとき
それまでとは全く違う人物としての側面が現れて来てくれる

それらを踏まえたうえで 合わないものは やっぱり合わないのよ
家族だからって無理やり合わせる方がオカシイのよ
お互いが ただの人 として観ることが出来て その個性を認め合えれば
「あー この人はこれでいいんだな」ってどこかで思えるようになるのだから そしたらその具合での距離感で付き合えばいいわけで それはお互い様なんじゃないかなーと思う

とは言っても その家族という縛りがあるからこそ勉強できるものもあるから家族として生まれて来てるのであって
その勉強過程がある程度済んだのならば たぶん今はもうだいぶ緩んで来て
以前ほど拘らずにも自然と丁度いい距離が置かれるように自然の采配が起きて来てるんじゃないのかな



個人的に言えば 親とは全く合わない人種なのだけど ここへきて会おうと思ってこちらから近寄ろうとしても タイミングが合わなかったり色んな要因で会わなくても済むようになってきているから笑っちゃう 何回か試してみたけど どう頑張っても自然な形で会えない流れになるみたいな(笑) 
そういった時は義理立てて会う必要はない時なんだなーと勝手に納得して まあ会う必要がある時はちゃんと繋がるだろーからいっか とお気楽に便乗している

”義理立てて”としている時点で既に私の本心からはズレてるわけで もうそういった事はしなくてもいいみたいね
本心で会いたいなー顔見たいなーとなってる時はきっとそうなるんだろ

笑っちゃうのは 自然と会えなくなってきているのに 「私何かやったかな」とか「どうしてたろう」とか以前の習慣化した思いが直ぐにフル回転して自己卑下やらに繋げようとしちゃったりして
そもそもこの関係にはそういった思いクセが絡まってますよーと教えてくれてるのにね
取りあえずは無意識にやっぱり出てきちゃうから だから家族とか繋がりの深いものはその思いクセを外せると大きいし お互いにそういった何らかの役割で出会っているのだろうから
人との関りや出会いってすごいよね



人でも物でも場でも何でも
合わなくなっているものは
自然な形で離れるように出来ている

今はそれが顕著に現れやすくなっているから
そういった流れが来ているのならば
そうか卒業かあ~ と
自分がステップアップする前触れとして
気持ちよくサラリとさよならがいいなあ

それでもまた
会う時は会うし
いまは合わなくなったというだけ

例えばそれが家族ならば
その事で血縁が変わる訳ではないのだから
距離感が変わるというだけ

そこでまた
観えたり感じたりすることがあるから

誰かが 何かが に固執することなく

いま来ている流れがそうならば
その ぜんたいせい を信じて
そのときの いま を
活き活きと 生きてみると
また ナニカ が
訪れてくるかもしれない ね



わたしが 自分が やろうとしなくても
ちゃーんと生きているし 流れてるって
そういうものを
これからドンドンみせてくれる
そんな 流れ



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