迷い込むのではなくてそれが新しいセカイ
お水さんが変わった
より柔らかく より滑らかに
より緩やかに より和やかに
知らない小路を歩く
不思議の国のアリスのように
目的もなく ただココロが弾むほうへ
嬉しいほうへ 楽し気なほうへ
そんな時間が
宝ものになる
いま私が何に興味があるのか
どんなものに目が向くのか
知らない路地で
私に教えてもらおう
何にココロ踊るのか
何が私を引き込むのか
どんな 知らない私 が待っているのか
出逢えるのか
散歩をしていると 庭先や路側を植物で綺麗にしているお家が沢山あって これも散歩の楽しみのひとつになっている
不思議だなあーと思うのは そんな中でも格段に植物が元気なお家があって
そういう所は何か一つの草花がと言うのではなくて そこ一帯が全部元気で活き活きとした植物で囲まれている
それは庭だけでなくて プランターでも鉢植えでも同じで 明らかに植物の生命力のようなものが全く違う
そこのお家の手入れをしておられる方のパワーが垣間見え 注がれる愛情や心地よさ そんなものらが現れている
これは自然に生えている植物のパワーとまた違ったもので 同じ活き活きとした感じでも 人の手が加わっているものとそうでないものは全く違うように感じる
こういったエネルギー的な異なり
みたいなものがより分かりやすく
感じやすくなっているなーと思う
ちょっと街中出たりすれば
色んな所で触れることが出来る
その時
「今まで」という感覚を一切捨てて
初めましての趣で全てに向かう
こうだった ああだった という
かつての思考 を持ち運ばない
そうすると
今まで見えてなかったものらが
姿を現してくれるようになる
そして
新鮮に 驚く
初めまして なんだから
当たり前なのだけれど
へぇ~ って ほぉ~ って
きょろきょろ きょろきょろ
知っているはずの街並みが
アリスの世界になる
当たり前のはずの日常が
キラキラ キラキラ
彩を放つようになる
6月に入ってからの変化の1つに
奥行きが深まった というのがあって
平面だった所が
立体になりつつある と言う感じ
もうなっているのだけど
ぺらって見えてたものが
より立体化して見えるようになってきている
これが何に繋がるかって言うと
多角的視野で感じ取れるようになっていく
みたいな事じゃないのかなー と感じてる
肉体の「目」としての機能が
同時に感覚的にも+αされるような
そんな感じ
今はそんな色んな事が
リセットされたり再構築されたり
もの凄い勢いで移り変わっているなあー
午前中のことが 午後にはもう
ものすごーい過去の出来事のように
感じちゃう
当然いままでの「記憶力」と呼ばれるものも
変わって来ているから
すぐ忘れちゃうとか
継続して覚えてられない とか
そんな具合が出てくるかもだけど
それでよくて
そこを
記憶力低下してきたから とか
忘れっぽくなってきちゃった とか
覚えてられないのはおかしい とか
そういう 以前の当り前さや感覚で
判断したり不安がったりすると
今の変化スピードと摩擦が起きて
よけい混乱したり抵抗したりするから
そこらへんは
そういうもんなんだ くらいの軽さで
ぴゅぅーって見過ごしちゃえば
大丈夫じゃないのかな
そのうち落ち着いて 周りも
そういうもんだ ってなってくるから
逆に言えば
いつまでも かつての感覚 に縛られてる人は
そういったものらを信じられないだろーから
一緒に居るのはキツイだろうなー
そこらへんは
記憶というのはどーいうものか
どこから引っ張って来るのか みたいな
仕組みと言うか理のようなものを知れば
頑なに「覚えてなきゃ」というのは
緩まるだろうから
そういったタイミングが来たのならば
知るのも楽しいかもしれない
脳が記憶してる訳じゃーないから
忘れっぽくなったって何かの異常じゃないし
思い出さなきゃいけない事は
ちゃーんとその時になれば
必要な事が必要なだけ思い出せるから
だいじょーぶ
だからと言って
「知らない」事は思い出せないから
知るという行動をしなくてもいいとか
知らなくても不思議と解るとか
そーいうんじゃないのだけど
知らなくてもその時が来れば自然と解る
というのは
知っていた事を忘れてたってだけで
自分の記憶が全て としていると
色々見落としちゃうことがいっぱいあるから
あんましあてにしないほうが
いいかもしれないなあー
太陽も
すごみが増してきた
風が撹拌してくれている
そして新月がやってくる ね