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ひと休みひと呼吸ひと安心

午後からお散歩兼ねて週末買い出し出たけれど 思ってたより観光客が散策しててどこも時間かかってしまい気が付いたら雨雲広がって来ていてあららとなったけれど あと数歩で帰宅という所で降り出してギリギリセーフ
いつもこうやって護って貰っていてありがたい
最近は天気の心配をする事も殆どなくなっちゃった

その雨がやがて雪となっていた


雨が降るかのように雪が舞う



少しだけ引いてみる

少しだけ 半歩とか一歩とか
感覚としてそのくらい
いつもの「自分」をやっている立ち位置から
後ろに引いてみる

「自分」をやっていると
いつの間にか前のめりになっちゃうから
この世界にはまり込み過ぎないように
時々意識的に引いてみる

ほんの僅か引いただけなのに
「自分」という感覚は変わる

少し視野が広くなる

同一化がゆるやかになる

「あ いつもこんな感じだったんだ」と
のめりこんでる自分を俯瞰できるようになる

少し引くことで
本来のじぶん 真ん中のじぶん に
戻りやすくもなるから
そこでひと休みしてもいい

大きな深呼吸とともに
かつての自分 を 流してしまう

敢えて時間を取らなくても
瞬間で出来てしまうリセット

瞬間瞬間 流してしまう
リセットしてしまう

時間という継続性の意識の中では
なかなか難しいけれど
気が付いた時に呼吸と一緒に
その継続性を一旦流してしまう



五感でキャッチ出来ないところでは
様々なことが起きていて行われていて
無理のないラインで範囲で
書き換えのようなアップデートのような
そんなものらがあるようです

個人的というよりも
全体が という感じなので
誰がどーのどこがどーのというものではなく
季節が移り変わるように
様々がそれぞれの視点立ち位置状況で
それに沿って変わっていくのでしょう

全体が変化している のですから
誰かが置いていかれるとかそんなものもなく
そこに個々の個性特質やらで
気づきのタイミングの違いはあるかもですが
それも含めて 全体 なので
そもそも置いていかれる「誰か」なんて
いないよねー?ってとこに落ち着いちゃいます

自分でどーにかしなければ外れてしまう
自分が頑張らなければ置いて行かれる
そういう思いが出てしまうのであれば

それは
不安や焦りから行動することになり
そのやり方は
既にシマワレているので
面倒くさい流れとなります

自分がコントロール出来る
という思い込みが絡まっているので
そいつを見つけてあげるのがラクかもしれません



自分がコントロールできる という
パワーの流れではなく

そのパワーを手放し緩めることで
本来の流れへのアクセスが始まります

コントロールしようとしなくても
いちばん最善で最幸なものが
ちゃんと訪れます



その時分からなくても
後から
ああ そうだった という
気づきのギフトが

ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。