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いま 穏やか

夜の気温が下がりだしたので
湯たんぽを始めた

去年から使い始めた湯たんぽ
お湯を入れるだけであったまるシンプルさ

昔の人々の知恵ってすごいなーとまた思う

電気ナントカとかも確かによいのだけど
電気系はどうしても乾燥してしまい
干からびてしまうので合わなかった

お布団入ったときの
やんわりとしたぬくさ が
どーにもこーにも心地いい



電車の中でシスター姿のお二人がいて
そこだけなんだか和やかだった

特に楽し気なお話されているとかでもなく
何だろなーと思ってしばらく見ていたのだけど
ああそうか 穏やかなんだ

他の乗車客はほとんどがスマホをしていて
しかもその姿にゆとりはない
スマホしていない人も何だか難しい顔しておられる
どの人もその姿かたちが窮屈なんだ

そのシスターお二人は
何するでもないのだけど
存在そのものが穏やかに感じられ
放たれているものが柔らかい

シスターだからという訳でもないのだろうけど
周りとのあまりの異なりに
そうかこんなに違うのかと感じさせて貰った



その後街中歩くときも何となく見てたけれど
穏やかさでいる人はいなかったなあ
みんな何かに追われているかのようで
きゅうきゅうとした姿で動いていた

出来ればあのシスター達のように
穏やかさを放っていられるようでありたいなあ
別に何するわけでもないけれど
その姿見かけただけでちょっとチカラが抜けて
そんな感じで在りたいなあ


過去にも1回だけ電車の中で
この世の人とは思えない人を見かけて
それは神職の装いされていたけれど
満員電車の中で そこだけが光っていて
その人だけが穏やかなのに驚いて
こんな人が居るんだと
嬉しくなったのを覚えてる


穏やかな人になろう ではなくて
じぶんが穏やかであれば
自然とそれが出ちゃうから
やっぱり内側整える に繋がっちゃう

何かを目指すのではなく
そうであること

何かになるのではなくて
その状態であること

であれば
そのために何か成すのではなくて
今ある余分なものを落として行く

自分を穏やかから遠ざける
思い や 習慣 やらを見つけたら
ぽいっと捨ててしまう

何かを得れば は もう通り過ぎて
もう充分持っているから 持ちすぎているから
削いでいく 減らしていく 外していく



すべてを じぶん という
オリジナル仕様になっていくこれから

そこにマニュアルはなく
聞けるのは じぶん

でも じぶんに聞けるってスゴイことで
誰かに頼らなくても 誰かのせいにしなくても
じぶんで自分を開拓することが出来るのだから
じぶんを知ることが出来るのだから

やがて偏りがなくなって
くるり と なるかもしれない
ならないかもしれない



その
知る由もないこと は
また 放って

いま で 穏やかで

ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。