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みち かけ まある

今朝は早目にいつもの神社へ行ってお石さんを浄めさせて頂いた。何となくそうしたいなーと感じたから。



まだ人が集う前の境内は静かで樹々たちも黙してる。けれども今日はその中にも、ジャンプする前にかがんで次へのパワーをためこむ瞬間のような、そんなものを感じた。
静かだけれども、うねるような翔び出す直前の満ちてるものが、その瞬間が訪れるのを待っているような。
静と動が表裏一体になっている不思議な感覚。
見えてるのは「静」なのに、明らかなる「動」が秘められている。



満月タイム(満月ジャストは明日)に入っている今日は身体はキッツ!となってる。
気だるさやむくみとかまあ諸々一連が現れてはいて起きたときに「うーむ。」とはなったけれど、満月タイムに入ってると知って「じゃあしゃーないか」と諦める。身体が自然サイクルに調和してるということだから。

時々書いているけれど、あの海が、月の満ち欠けで水が動くのだから(それだけの要因ではないけれど)、水分70%位はある人の身体が同じように反応するのも不思議じゃないよなーと感じていて。

実際満月過ぎるとむくみも無くなるし調子も戻ると言うことを何度も体感しているので、ああそういうものなのね、身体ってスゴイのねといつ頃からかなっている。

以前はむくんだり水溜まりが起きたりすると、食べたものかしらとか何か悪化したのかしらとかに思いが行っていたけれど、何回となく天体の動きとリンクしてる部分があるというのを体験すると、"そうなのかもしれない"となり、どっちにしろその時の不調の要因なんて突き止められる訳じゃーないのだから、推測の域を出ることのない事で思い悩んで疲弊するよりも、「自然の流れに同調してる」と丸投げしちゃった方が気持ちが楽だし、実際身体がそのように変化してるから、そうなんだなーとなっている。
どうせ考えても「自分」という思考には分かりようもない事なのだから。



昨日の昼間は外でずっと子供の泣き声がしてて。人通りがある道沿いなので、通りすぎるまでよくあることだから気にしてないでいたのだけど、どうもその声が動かない。5~10分くらい声が主張を続けていたので、さすがにどうかしたのかなと覗いてみる。

その声の主は目の前の通りではなく、少し先に見える住宅街前の道脇にひとり座り、何かを訴えてた。
ひとりだとは思ってなかったので様子を伺っていると、少しして女性が現れ彼に話しかけていた。遠目なのでよくわからないが、その子の母親らしかった。

女性の投げ掛けに、全力で「やだっ!!」と声が響く。それ以外の言葉はよく聞こえなかったけれど、とにかく彼は何かが嫌ならしい。覗き見る前聞こえていた声も、何かを主張し続けていたものだったから、ああ親子の投げ掛けあいかなあとか流していた。

数分後、彼はその女性に引っ張り起こされ、引きずられて行く。
彼は全身で拒み、まるで綱引きをするかのように足を踏ん張り動かないよう頑張る。その間も彼の主張を含んだ泣き叫びは辺りに響いてる。
少しずつ少しずつ踏ん張ってる体は動かされ、やがて姿は住宅街の角に消え、その声も消えていった。

子供に危険性は感じられなかったので物見ものみをしていたのだけれど、いつもなら「なんだかなあ」とか思ったりするのにその時感じたのは違うもので。

ああ、全身全霊で泣き叫ぶというのはああいう事なのかと。
彼がそう主張した理由は全く知るよしもないけれど、でも彼は、自分の「嫌だ」という思いや感情を体全身で現していた。見事なまでに。
母親が居なくなっても座り込み、引きずられてもあらゆる力を出し尽くして全身で拒否し。

変な言い方だけれども、あそこまで「出し尽くす」事が出来る彼は幸せだなあと思ってしまった。
「嫌だ」というその時の感情を誤魔化す事もなく、大人の顔色伺いして納得してないのに言いなりになるのでもなく。
親にしてみりゃ周りの目も気になって迷惑な事なのだろうけど、親側が子供の言いなりになる(単に盲目甘やかす)タイプでないのなら、子供があそこまで主張を出せる環境であるということなのだから。

あの後どうなったかは知らないけれど、少なくても彼は、その「嫌だ」と思った出来事と感情に対して、このあと不要なお荷物を奥深くにしまいこむことにはならないんだろ。
全部出してしまったから。
同じような事で同じようになるかもしれないけれど、それは蓄積されたものではなく、その時の彼がまたその時感じた純粋な思いだから。


ああやって泣き叫べばよかったのか。
そんな事も感じていた。幼い頃、親に向かって泣き叫んだという記憶がない。もしかしたらやっていて、その時出し尽くしたから残ってないのかもしれないけれど。

もの心ついた頃には「お姉ちゃんだからね」という言葉にそれらは蓋をされ、ずっと "いい子でいる" 事をいつの間にか身に付け、蓋をされたままの中身は姿かたちを変え違う形で現れていた。そうだと気付いたのはずっとずっと大人になってからだけれども。

彼の様子を見届けて、こりゃー観なきゃアカンのかなとかなり深掘りしてみたけれど、何も出て来なかった。
有って未だタイミングじゃないのか、そうならきっとそのタイミングの時ギャン泣きして感じ尽くすのだろうし。

でも彼の泣き叫び声と全力での体現が、私がその頃出来なかった代わりにやってくれたようにも感じ、何だかスッキリさえしているから、そうならそうでまぁいいやと。

一見いっけんしたらただの子供のワガママで親子の日常やり取りのようにも受け取れるけれど、中身理由はどうであれ、彼からは素敵なギフトをもらった。
例え彼がそうしたいと思ってした事ではなかったとしても。

彼が私のセカイに現れ、気付きのギフトを落としていってくれた。


満月となり
なにが満ちていくのだろう

何がいっぱいとなり
溢れだしていくのだろう

そして同時に欠けはじめ
何が削ぎ落とされて行くのだろう

どんなスキマが出来るんだろう

そこには
何が入って来るんだろう



欠けてることを
シッテいるから

満ちることを
シれて

でも
欠けた満ちたも

同じカタチの
まんまるお月さま

どのミカタが
好みなのか



どんな好みでも

お月さまは
そこにある


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