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薄いベールがはがれていくように

最近 人は思うようにしか見ない というのを
改めて感じさせて貰っていて
ああ なるほどなー となってる

理屈や仕組みや理解ではなく
「ああ」 という 
それだけの言葉にしか現しようのないもの



”思うようにしか見ない”
”思った通りの世界に居る”
つまりは
自分 という これ が
思い感じ得るすべてが
自分の世界 で
多分幾多の人はこれまでを生きて来ていて
そして
周りの人も同じように感じ
同じ世界に生きているんだろう と
なっている

思うように とは
その言葉のまんまで
思ったまま なのだけど

思う のは
人の数だけ違うから
例え同じ場所に居ようと
家族だろうと何だろうと
起きたこと に対して
その 思い は
みんな違う


今まで私は
それでもどこか共有点や共通点が
あるのだろうと思っていたのだけど
どーやらそれも無いらしく
あーそうなんだ となっている

それぞれが
完全オリジナル

そのための
個性であり 独自性であり
その持って生まれたフィルターがあるから
その人なりの世界が出来上がる



それは
どれだけ近しくても
どれだけ同じ環境でも
どれだけ同じ時間でも
イコールで繋がることはないから
同じ世界 には ならない

なのだけど
この目の前の現実で
これこれこういう事があって
この人がいてこうなって
だからこの人もこう見ただろう
こう感じ取っただろう
と思うのは
思ってしまうのは 仕方ないのだけど

どうやら全くもって
すっとこどっこい



ここまで全て
自我目線の 自我のための
自分の世界
いわゆる日々の現実と呼んでいるもの
これらを言葉に出来るのは
自我や思考があるから



人は思うようにしか見ない
つまりは
自分は思うようにしか見てない
見えてない

そしてその 思い は
今まで積み重ねてきた過去のデータ

自分 の 思い は
どれだけちっぽけな範囲なんだろう

今までの経験値範囲からでしか
見えてない世界

でもそれが全てで
自分の世界の現実だ と信じている


それが
この肉体が自分であり
自分という個人がいるとする
自我意識視点の私であり自分であり



いま

この それぞれの思い が
そういう役目で各々の世界を
創っているんだよ と

色んな形で
現されようとしている

ゆっくりと
でも
確実に

ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。