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明らかさが明らかになっていく

久しぶりにいつもの神社へ立ち寄ったら
すっかりナニカが変わっていた

それはもう
鳥居をくぐるまえから始まっていて

あれ? と思って
じぃーっと辺りをこらしてみたけれど
ナニカ が ナンナノカ は分からなかった



境内に入れば更に顕著で
わたしは不思議な感覚で
その正体を見極めたく
キョロキョロしていた

どこが とかでなく
ぜんたいが だった

なにが ではなく
ぜんぶが だった

まだ
ことばになる前のもの
もしくは
その意味づけを
わたしが知らないもの

そんなものらが
目の前に展開されていて
わたしというものは
その中にいた



ちょっと来ない間に
そんなに変わっていたのか


この 変わっていた というのは
神社のことではなく
どうやらわたし自身のことらしい

変わっていた のではなく
そうなのである ということを
感じ取れるように 気付けるようになった
と言った方が近いのかもしれない

たぶん神社は
今までもそうであったのだろうから



そして

わたしがそうなのであれば
そういった気づきが
あらゆる人々に
始まっているということ

それを
知っていようといまいと
望んでいようといまいと
意図していようといまいと
気付いていようといまいと

もう
そうなっている ということ



ただ
その カタチ が
現れ方が
ちがうというだけ


ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。