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すべての物事の本質は安定にある(着想)

着想なのですが、そんなことを思ったので整理しておきます。ご指摘あれば、ご教授ください。この世のすべては物理法則に従う以上、その上に成立している人間も物理法則に抗えない(過大に影響されている)というのが、根幹の考え方ですね。







安定とは

それ以上、変化のしようがない終着点。言い換えれば、周囲と完全に均衡している状態であり。その均衡に向けての最適な形態や様相に洗練されていくプロセスともいう。

自己定義

ここでいう安定とは、穏やかとか、代わり映えしないとか、安心とかそういう世間一般のイメージとは異なる。分かりやすくは、水が低いところを目指したり。気圧差が風としてならされたり。電圧差がならされたり。暑い冷たいがならされていくことだ。

ならされる=均衡するが安定の正しいイメージである。

そして、均衡とは静的均衡と動的均衡の二種類がある。トランプタワーみたいに、外力がなく動かないでバランスを保つ場合と、病原菌と免疫力の戦い、国同士の境界線のように、互いに押し合いながら均衡したところで止まるのが、動的均衡である。自然界では、常に外力かあるので動的な均衡が一般的である。






安定に向かうとは

全ての根源となる宇宙を大きく分類すれば、以下の3つで構成されていると思う。
1、エネルギー(力学)
2、原子や粒子やらその集合の物体
3、空間やそれに付随する重力引力(空間の凹)

将棋盤(三次元空間)の上で、
様々な駒(物体)が、
エネルギー(力学)で様々に動いている。と
そんなイメージである。

エネルギーはエントロピーの話や先の例で一般的に理解されているように、安定(平ら)にむかう。そして、膨大なエネルギー(熱や重力や速さ)で誕生する原子も、”一番安定した”鉄の原子へとむかっていく。あるいは対消滅現象で消失する。(この辺りは、宇宙は鉄の製造工場?とか、原子とはどうやって生まれるのか?対消滅とは?みたいなYouTube動画を参照ください。わかりやすく説明してくれています。)そして、空間における、質量による沈みこみという穴やへこみは、動いているなにかがその凹みに、引きずり込まれることになる。凹みを作っていた何かと衝突して、もっと小さいものに分裂することとなり、質量の低下で凹みは小さくなる=ならされていく。これの繰り返して、空間も長い目で見ればならされていき、平坦な安定の状態に向かう。

というわけで、全ての根源となる宇宙にあるありとあらゆるものは”安定=均衡”へとむけてゆっくりゆっくりと向かっている。と最近学んだことを結びつけると、そんな印象である。






安定と両極

数学と物理学者によって算出された最小均衡値は、2である。水切り石みたいなもので、表と裏の平べったいあの形状が最小均衡の形状のイメージに近い。(気になる人は、コムボックル?均衡の動画を参照ください。)

極々物理的な、重心や形状における安定という概念を、全てに抽象化して当てはめるのはやや懸念がある。しかし、+と-。酸性とアルカリ性。N極とS極。それ以外の現象においても、2つの極を有する現象が自然界は多い。

なので、
2が最小均衡である 
 = 世の中の物は表と裏のように2つの両極を持つ 
  = 安定とは均衡である以上、2つの両極が目的地(終着点)となる
   = 結果として、全ての現象や行動は、両極の終点へ向かう

冒頭述べた、全ての物事の本質は安定とはこういう意味である。宇宙全体で見れば、振り子時計のように、大きな揺れ戻しで次第に、制止に近づいていくことだろう。(厳密に言えば、膨大に広大で薄まり?1個体にしてみれば、周りには何もないレベルに密度が薄く?ならされるんじゃないだろうか。)しかし、その過程では、縦横無尽に大きく揺れる動きが繰り返されることとなる。その都度、その両極の動きの、どちらかの極へ、安定を求めて現象や生物は向かおうとするということだ。






コンストラクタル思考

聞きかじった話のつぎはぎで、問題点だらけの気もするのだが、整理しておきたいので続けることとする。

コンストラクタル思考や法則という物理学者が指摘した説明も、上の結論と同質だと思う。本当に生物が”多様性”を訴えるのならば、もっと”多様”になっていいはずだが、現実と多様性の計算結果があまりに違いすぎるという発見から、コンストラクタルという”流れ”を重視する考え方をする。詳しくは各自参照してほしい。(というか、自分も詳細を読めてない……)

要は、生物・無生物を問わず、すべてはより良く流れるかたちに進化する

全ての物事が安定を求め、極に向かい、均衡しようとする。その向かう過程においては、他の何よりも滑らかに、効率よく、誰よりも抜きんでて、その極に向かう必要がある。なぜなら、極へ向かうということそれこそが、原理であり、法則であり、真理であるのだから、それらに則った行動こそが、真や正しさだからだ。卑近で言えば生存率をあげる行動みたいな表現になる。

分かりやすく言えば、そのゲームのルール上最強のキャラがはっきりわかっているならば、それをみんな使うようになるよねと、ルールに則った最適な行動に、全員流されていくというそういう話だ。






人間や生物も同様

世の出来事に逆張りする人もそうだし。
資本家がもっとお金を求めるのもそうだし。
小さい悪を犯した男が、もっと大きな悪の渦にとらわれて犯罪に手を染めさせられるのもそうだし。
善人や高僧ぶる人が、もっと徳を求めるのもそうだし。

結局すべては、両極の終着点を求めていく。現実では要素や関わる点が多いので、多少複雑にみえるかもしれないが、かみ砕けば、それだけである。人間の差異的消費とか、多様化とか。他の人と違うことに価値を見出させるベクトルは理解していたが、それももっと深堀すれば、全てはよりよく流れる形に向けての極を目指すということだ。中間ではいられないのだ。

そして、この本質はすべてに通ずる。人間関係も動的均衡の安定に落ち着き、落ち着こうとそこに向かっていく。身体が大きい人は、より大きい人と結婚して子孫を残すし、逆もしかり。顔がいい人も悪い人も然り。なんでもそうだろう。

あるいは、嫌な黒い虫とか、ワニやサメやハチやシーラカンスが、ある点からほとんどずっと同じで変化がないように、終着点に到達すれば、そこて均衡して落ち着くのだ。





おまけ雑談 ビックバンとブラックホール

宇宙は、安定=均衡に向かうとはいえ、一方通行ではなく、揺り戻し(振り子時計)のような動きになっていると思う。徐々に徐々に振れ幅が小さくなっていくわけだ。

例えば、太陽のように、核融合反応で、原子をエネルギーやらに再変換する存在があったり。反物質(対消滅を引き起こす存在)が地球付近にはごく少数しか存在しない等々。宇宙全体で偏りがあり、その偏りがエネルギーやらを生みだし、宇宙を揺り動かしている。

一直線に下り坂のように均衡に向かうのではなく、一見すると、均衡に反するような、攪拌(かくはん)する偏りの作用が存在していて、それが浮き沈みや揺り戻しを作っていく。

この事をベースに考えると、ビッグバンは無から有が起きたのではなく、最初は有、つまり、高密度で超高濃度のエネルギー体がただそこにあったのではないだろうか。理路整然と整っていたものに、何らかの誤りが生まれて、ドミノ倒しのようにそのエネルギー体は一瞬で大爆発して散り散りとなり、その際に一部は原子や粒子として形を変えた。で揺り戻しをしながら今に至ると。ビックバンの真実をなんとなく空想してしまう。

話は少し変わるが、ブラックホールも同様に空想してしまう。安定とか均衡に向かうわけだがその途中の揺れ戻しや攪拌が強すぎた時に、ある箇所にだけエネルギーやらが集まりすぎてしまうことも生じることだろう。通常考えられないエネルギーや物体の密集により、宇宙の法則すら乱れそうになる点が存在してしまうことも予想できる。

アインシュタイン方程式なる宇宙を記述した複雑な式も同様に、計算上では、法則が乱れる特異点が宇宙上に存在するはずなのに、観測できていないというなにかがおかしい!という推論が展開されている。

つまり、特異点が理論上や法則上生まれそうな場所は、ブラックホールとして隔離処理されているので、特異点のバグは計算上は存在するが、現実に存在する前に隔離して、宇宙を正常に保っているというわけだ。実に良くできていると、かってに空想してしまう。まだまだ勉強不足だが、そこまで外れてないない気もする。どうなのだろう。





おわりに

久々に空想というか、根拠うすうすの推論記事を書きました。とはいえ、全ての本質が少しひもとけた気がします。後は、検証や立証して確めたいのですが、それはいつになることやら。

結局何が言いたいのかというと、人間の本質も同様に、極に向かうことである。ということそれだけです。それがこの世のすべてに通じる原理や真理だからという話でした。

誰がどの極を目指すもよしです。人によっては、どこから始められるかも違います。どの極に向かうか。どれだけ進めるかも違います。しけし、サボったり自分が楽というだけで、留まり続ける人もいるでしょう。それだけは害悪だという話です。

別の記事でも書いていますが、前進。ただそれだけが指標であり、その人がどこからどこまで極を進めたかだけが、人生や人間の本質で気にするべきポイントなだけだと思います。


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