フェミニズムに関わる違和感の正体 ~性差0のごり押しや結果の平等と性の売り物視点~

noteでフェミニズムの記事が流れてきたり、youtubeでそんな動画を見たりしたときに感じた、フェミニズムに関わる違和感を整理しておこうと思います。専門外の素人の私見です。誤りを過分に含むので注意下さい。意外に長文になりました。




フェミニズムとは

男女の対等平等を目指した、女性の地位向上、権利拡大運動

自己定義


初期に展開されたフェミニズムとは、定義の通りです。具体的には、男性は選挙権があるのに女性はない。女性は財産権がない。結婚相手や職業や進学を自由に選択できない。男性はしてもいいけど、女性はだめというもろもろを失くそうよって話です。男性と女性の話に関わらず、この手の話は、黒人や奴隷、市民対貴族でも同様に生じていました。その社会で責務を果たしているならば、みんな同じ市民として、平等に扱われるべきだって話です。

公園があって、男の子しか使えない。○○だけしか使えない等。すでに存在するモノや制度を独占したり、優遇されるのはおかしい!!解放されるべきだ!!

これは正しくて凄く分かりやすく広まりやすいものだと思います。男女の給料差、ある職業における男女比等々、現状の実態ではまだまだながら、制度や法の枠組みの中では、この初期の男女平等を目指すフェミニズムはかなり達成されたものだと思います。言い換えるならば、機会の平等は達成されて、誰しもが同じスタートラインに立って、競えるようになったとも言えます。





結果平等のフェミニズム

こうして、男女平等がかなり達成されると当初の目的が薄れていきます。で、フェミニズムには、次の目的が設定されたのではないでしょうか。


1、女性自由主義運動の拡大(更なる女性の権利拡大)
2、結果の平等としてのフェミニズム(更なる女性の地位向上権利拡大)


1は、女性のランドセルの色は赤じゃなくてもいい。何色でも選べるようにしよう。女性の制服や礼服はスカートだけなのはおかしい。選べるようにしよう。女性は○○でないとダメという偏見やジェンダーや性別による決めつけ○○をなくしていこう!が次の目的の1つだと思います。男性と対等平等にという、初期の目的の前半部が失われて、性別による決めつけや性差を取り払っていこう!!として、権利拡大の範囲や領域が拡大していきます。



違和感1 主語が女性だけになっている場合

男性も女性もランドセルは何色でもいいよね。男性もスカートをはいてもいいよとか。いっそのこと5種類ぐらいある制服の中から、誰がどれを選んでもいいよ。といった具合に、本来は男性も女性も含んだみんな自由で!!という主語で語られるべき話なのに、主語が女性だけの話をしている人が紛れ込んでいると違和感があります。

言葉を変えるなら、ランドセルもスカートも、高校球児の坊主じゃなくて良いよ問題と、同列の話なんですよね。つまり、自由主義の拡大運動と、それに対抗する伝統や秩序や管理主義との対立の構図なんです。もはや男と女がどうこうの話ではないのに、女が女はと、女性を主語にして自分の属する立場のことばかり話題にするのが違和感しかありません。




女性は下だ!という思い込み

ではなぜ、主語を女性にして、女性だけの権利拡大に走るニセ物自由主義者のフェミニズムが横行するのかと言えば、その根底には、いまだ女性は下であるという思い込みがあるせいでしょう。

男性と機会の平等は達成したかもしれない。でも、実際まだまだ男性が有利で女性は不利で、つまり、女性はまだ損しているという思い込みです。

まだまだ男性との差があるぞ!差をなくせ!というこの思い込みは、安易に女性をもっと優遇しろと結び付きます。(今が下を解消するには、女性を上げるか、男性を落とすしかないので。)そして、導かれるのが、結果としての平等を求めるようになるフェミニズムですね。

言葉を変えるなら、機会の平等が達成されて、同じスタートラインにたった。でも、まだ女性はゴールしたら下の差がでてくる。このゴールの差も解消しようとしたら、スタートラインにたつ人々をかなり同じ(差をゼロ)にしてしまうか。あるいは、ゴールで差ができた分を補填して、帳尻をあわせて差をなくすしかありません。



違和感2  性差ゼロは無理

男性も女性も全く同一になってスタートからの差をなくすべきのような論調をする人をみると違和感があります。生物学的な遺伝子の差は必ずあります。性差と言っていますが、白人と黒人でもいいです。遺伝子の違いで同じになれる訳がないのです。みんな違ってみんな良しが本当の平等であり、みんな一緒でみんな良しは、平等を履き違えています。画一化による争いや競争の陳腐化によって、平和は訪れるかもしれませんが、それこそ本来女性が求めていた自由を見失った、男女はこうしなさい、男女はこうあるべきにとらわれた不自由で不平等な世界になります。



違和感3  補填して帳尻あわせの結果としての平等 女性の優遇

男性が奢るべき!と言い出す人はこの文脈ですよね。女性は損している、大変な目に遭っているのだから、それを補填しろ。男がさし出せと迫るわけです。ゴールで調整しようとしてくる。

ゴールで最終調整する結果としての平等は、最後に合わせるんだから、そりゃ一見平等になります。でも、並ばされ無理に下に落とされた側は、不満がつのるでしょうし。背景や過程がどうあっても、結果が同じという無意味さは、人間のやる気や意欲を削ぎます。不毛です。横に並ばせることは、本当の平等ではありません。ただその時、下にいるものを優遇しただけです。本当の平等は、スタートラインにたっているときの各自の背景という数値があり、それをある完全な計算演算式にいれる。誰もが理解し納得する同じ処理と結果になることです。

一発テストだけで判断することでもなく、テストの結果数値だけで判断することてもなく、テスト迄にその人がしてきたものも込で判断されて、その判断や結果は、誰しも同じ処理になることが本当の平等です。これらすべてを達成するのはかなり大変な骨のおれる世界ですが、結果の平等なんていう紛い物に向かうよりも余程価値のある着実な道のりだと思います。




違和感4  性の売り物化

最近のネットニュースになるようなフェミニズムの主眼や主題はここで展開されている気がします。

女性を性の対象としてはいけない!性の部分を強調させてはいけない!胸の大きいキャラクターはNG。露出が多いNG。スカートが短すぎるNG。グラビアアイドル等の体の仕事は女性の地位をおとしめている。水着でのミスコンテストは、性的な属性を与えて不健全だ。メイドやご奉仕を内容とする漫画やエロ漫画の類いは、女性の地位をおとしめている等々。

そもそも論として、男性が女性を、女性が男性を性的にみないと生殖や生物として始まらないわけで…、性の対象にするな!がそもそもおかしなスタート地点だと思います。さらに言えば、何を性的とみなすかは人それぞれであり、声が大きい人が言っただけの性的の定義がまかり通るのはおかしな話です。

なので、正確には、男性女性を性の対象とするべく、男性女性から性の搾取と、性での小遣い稼ぎが行えないことを達成するべきだと思います。搾取とは、不本意や望まない行為への強制力のことです。本人が仕事に誇りとやりがいがあるならば、体を使った仕事類も、問題はないと思います。問題になるのは、それが不本意だったり強制されたり強引にされたケースでしょう。お金がないからやむなくとか。契約書がないせいで曖昧だったとか。契約と違う内容を強引にさせるとか。あとは、その辺の知識や判断力の問題で成人以上でないとそもそもしちゃダメとかその辺です。

但し、本人の合意のみにすべてを委ねてしまえば、いつかだれかが過激化して基準が底上げ(youtubeのどんどん過激系動画が流行っていく流れと一緒)されて、そこに追随しなければならなくなる。そして、そこに搾取(不本意)が生まれやすくなるのは目に見えているので、性器の露出NGとか。一定ラインを線引く現行の法律運用は理にかなったものでしょう。

後半の小遣い稼ぎとは、円光やブルセラ?とかのことで、当人の合意はあるかもしれないが、性という方法が金銭獲得にお手軽すぎるならば、流されてしまいやすいという弱い強制力になるので、安直に軽率に行えないようにすることですね。

あれも性的だこれも性的だ等と規制しろ!取り下げろ!というのではなく、本来は、搾取や小遣い稼ぎから守る、守られるような体制作りの活動をすすめることが正しいフェミニズムだと思います。(上述の通り、そこに男性もふくめるのが正しいフェミニズムだと思います。)av新法?とかも契約やらの徹底みたいな流れでいいことだと思います。ただ薬物撲滅と同じで、もっと流通させるところをガッツリ規制厳しくして、搾取案件を撲滅させる方向を推し進めてもいいとは思います。

搾取の対象がいない2次元や創作物への規制は、基本的に無意味だと思います。(具体的な犯罪方法ノウハウの提供表現はNG。その知識で犯罪が助長される恐れがあるし、それがなくても性的興奮は可能だから必然性がないため)

しかし、二次元の過激描写が男性の意識を変化させて助長する!!というそれらしいが証明されていない論拠を元にして、規制するべきをフェミニズムの人は繰り返します。ここは、答えのわからない話がもとになるので、結論はでないはずです。

しかし、言ったもん勝ちで押しきられるのは、誤りだと思います。答えが出ていないのだから判断は保留が正解です。それでも話を前に進めたいのならば、それこそどういう社会を作りたいのかという、民衆の多数決という市民の総意できまるべきものだと思います。



終わりに

まとめておきます。
・主語が女性だけの人
・性差をゼロに。みんな一緒になろう路線の人
・結果を合わせよう、女性優遇の人
・性の売り物化、性的な云々を発信し、かつ、認められて当然であるというスタンスの人

この辺のフェミニズムの人は、これまでのべた通り、論理的に誤りなので信用したり耳を貸さない方がいいと思います。

ここから最後は個人的な見解になりますが、グレーのままでいいのになぁと思います。人に迷惑をかけないで本人同士がそこで合意して、さらにそこでのことが後々、被害や搾取にならないのならば、その個人間取引は目をつぶるぐらいでいい気がします。フェミニズムが嫌うようなメイド姿の女性に大興奮してしまう男もいると思います。でも、フェミニズムの論理で言えば、それは排除されることになる。そういう彼彼女の願望は一生満たされないことになってしまう。その方が歪な気がします。

何に興奮してしまう、何を美しく思う、何を美味しく思う。全部同列なことで単なるその人の嗜好です。メイド姿になるのが好きな人がいて、それを欲しい人がいる。需要と供給がマッチしていて、かつ、そこに被害者がいなければ、社会の隅でそういう取引がこそこそ行われて、他人の幸福追求を妨げず、搾取が濃厚でなければ、誰の欲求や要望も達成可能な社会の方が健全な気がします。

排除よりも許容、寛容を推し進める方が、みんなにとって優しいひらかれた社会になるのは明白だと思うのですが、なんでフェミニズムは排除と規制を訴えるんでしょうね・・・。

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