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面白い動画記録その5 人間は詰んでる生き物だなと思った話

家畜化実験という動画を見て

人間の原罪とか、業とか宗教的な言葉ではなくて、人間は生まれながらに生きにくさを抱えている仕組みに気づいた話。構造的に、人間はどうしたって自己家畜化せざるをえないので、人間は詰んでいると思った。苦しみの連鎖の中に居続けなければいけないのだ。




動画の要約

オオカミを家畜化していつしか犬という種が生まれ、人間は犬と共に現在も暮らしている。では、動物を人間の都合のよいように変化させる(家畜化できる)条件とはなんだろうか。条件に該当するキツネが家畜化していく過程を観察してみよう!

外見が可愛くなり(いかつくなくなり)、歯も小さくなり、雄と雌の性差が減る。繁殖期が長い。脳内ホルモンも変化し、ストレスを感じにくく精神が安定。って、これは人間に起きた変化と同一だ!

人間にとって友好的かどうかだけの基準で選び続けただけなのに、それが自然と、暴力的な個体が排除されていく自然淘汰になり、家畜化に成功した!!人間で言えば、社会をうまく回すために平和的友好的の方が望ましいという圧のせいで、同様に友好的かどうかの選好が働き、人間も自己家畜化して同様の変化が起き続けているのだ!!という内容。





友好的かどうかだけの選別の補足

後半のオオカミと犬の説明で少し触れられていますが、明言はされていないので、以下は私見です。

そもそも人間に友好的である個体とは、その個体の社会的序列の中では、最下位(体が小さい、弱い、争うのが苦手)である。そのために、争っても負けるので生存戦略として、媚びを売る = 友好的である振る舞いを選択する。つまり、友好的とは、弱い体質気質なわけだ。

だから、友好的という基準で選別を繰り返すだけでも、か弱い平和的な個体同士の交配を繰り返すことと同一であり、家畜的な生き物になっていくという表現の方がしっくりくる気がする。そして、自分が弱いことを自覚しているから、多くの子供を残す多産戦略になるだろうし、平穏な時代に合うようにより穏やかに脳内ホルモンの分泌や割合に変化していくのだろう。




人間は社会に家畜化されている

弱いキツネは、生き残るために人間に寄り添う。それを繰り返していたら、どんどん弱くなるが、より人間に寄り添いもてはやされやすくなる → 生存率が上がる!という家畜化進化?をした。

人間は、友好的で平和的な方が集団生活や社会生活に適している。結果的に、キツネと同じ友好的圧が働き、キツネ同様に、友好的に振る舞うことが得意な戦闘に不向きないかつくない人間が増加することになる。人間は自分で自分を家畜化しているといえる。




人間は、社会とその支配者の家畜

本来の家畜化とは、交配まで完全に管理していることの意味だ。ただ、家畜化という言葉の本質的な意味としては、何かにすがって頼って媚びてでも、生きる方を選んだことだといえる。弱いオオカミやキツネは、人間にすがった。

人間は、自らを生かす社会にすがっている。で、社会なしには生きられないまま、社会の奴隷として徐々に徐々に、その在り様すら着実に家畜化していく、ますます社会なしには生きられなくなっていく。こう考えると、とても恐ろしくないだろうか。

競争的でいかつい暴力的な突然変異や、そういう性質が強い人間が生まれたとする。それは、その支配欲から、平和的な者を蹴散らし、社会の上に登り詰め、その欲のまま平和なものと社会全体を家畜化していく。一度構築された社会はそう姿を変えられずに、その家畜化は進行していく。




本題 人間は詰んでいる

みんな大なり小なり、ツラさを抱えて人生を生きている。もしこの世からツラさをなくせれば、人間はみんな幸せになれるかもと考えていた。

具体的には、資本主義という経済システム。その中で生まれる立場の違いからくる差別(相互理解のなさ)。それに拍車をかける無知。差別や無知からくる競争というなの争いやいさかい。そこから生まれる悪や憎悪や怒り。文句の言えない弱いものにどんどんその皺寄せのむかうツラさ。端的に言えば、社会制度の問題と、善悪の価値観(こう生きる方が格好良いよねの浸透)の問題で、それを改善できればみんな幸せになれると思っていた。その辺はまぁ色々書いている。が、現実の問題はもっと根深いと気づかされた。

家畜化実験が、本当に指し示すところとは、人間の生存戦略(というか社会化で生存率を高める群れをなす生物)は、どこまでいっても社会を構成するという戦略上、必ず支配、非支配の関係性の連鎖から逃れられないということだ。それが生きる術でそれにすがるからだ。仮に一時はその支配非支配がほとんどなくなるような時代もあるかもしれないが、たまたま出てきた支配が強い個体により、そのユートピアはたちまち乗っ取られて彼を頂点として別のモノにじわりじわりと変えられてしまうだろう。後は、自己家畜化によって、どんどん従順になって、独裁者=社会のため、または上位身分のために働かされるのだろう。そこに違和感も怒る気力も感じなくなっていく。

そんな社会で、支配する側が幸せかと言えば、モノやらは多くてそこそこ満たされているかもしれないが、支配する側の責務や、もっと上を目指す!の行動原理ゆえに心が本当に満足しているのか疑問である。一方、下の人は平和的で友好的でいたいのに(それが本当に自分の意思か、家畜化された結果かはさておき)、上の人に搾取されて、もっと自分だけの価値を追求したいのに、お金と時間がそれを許さない。そこそこの満足しかない。遺伝子レベルの生存戦略の構造的欠陥で、幸せにはなりにくい。人間って詰んでると思う。

しかし、人間を人間たらしめたのも、人間の始まりも、この社会化によるところが大きい。集団生活によって、道具や知識の共有、意思疎通による言語の発達等々、今の人間の源泉であり人間の知性や文明を育てるきっかけになったのは、この社会化だ。人間の発展繁栄でもあり、不幸の始まりでもあり、人間の根幹でもあるので、人間は苦しむようにできているのだ。人間は詰んでいる。





おわりに

その人の興味関心で、世界の見え方は違う。色彩の鮮やかさのようなもので興味がある人にはある物事は、色とりどりで複雑でキレイで摩訶不思議なものに見える。

たまに生まれる独裁者(支配が強い人)も、野球のスーパースターも、興味関心の方向が違っただけで大差はないのだ。もっと人を支配したい序列の上に行きたいと楽しそうにあくせくするのも、野球がひたすら上手くなりたいと楽しそうにあくせくするのも、その行為の本質は変わりない。自分の心の声に従っているだけなのだ。

人により見解は分かれると思うが、私は遺伝子は理性では押さえつけられないと思う。プログラムのバグで理性でおさえつけたように見える人も中にはいるだろうし。その人にとっては遺伝子の力が弱くて(あんまり眠らなくても平気みたいなもの)、理性でおさえつけられる人もいるかもしれない。でも皆が皆そうはいかない。支配遺伝子が強い人はいつかは生まれて、世に出てくる。詰んでいる。

とはいえ、やり様はある。人間のツラさを解決するには、
・遺伝子か脳をいじる
・支配被支配が弱い時代を維持するための管理者を置く

前者は、支配する遺伝子を排除したりそういう人を選別することだ。しかし人間の根幹に関わる部分であり、どういう余波が生まれるのか想像もつかない。また、上の通りで野球したい人に野球をさせないようにするというのは、非人道的でもある。支配しようという結果は悪を生むかもしれないが、支配しようという心の声自体には、悪意はないからだ。社会平和のために、ある特定の人を犠牲に我慢させていいのだろうか。

後者は、支配者になんらかの能力で登りつめたけど、本質は支配とは程遠いので、平等で平和的な社会が構築されるという稀な瞬間が時代時代にはある。その瞬間を永遠に引き延ばすというプランだ。その支配者を不老不死にするとか、若返らせて何年も役目を担ってもらう等。これは非現実だし、管理された幸せが幸せなのか?とまた別の領域で問題が生じてくる。

やっぱり、人間は詰んでいるのだろうか。難しい問題である。

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