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人間(社会会社等)はこうして滅んでいくのだなと気づいた話

3代目が会社を潰すについて考えていたら、人間も一緒で、文明の行き着く先もぼんやりと見えた話。空想気味です。

ざっくりいえば、最初はなにもないから始まり、あくせくして道具やらが増えて、日々の生活が安定化していき、そして、確実な安定化が起きると、最初のなにもない状態、ハングリーを忘れて(挑戦の価値が薄れて)、心の充足を求めるようになる。しかし、心を満たすことは強くなることと同義ではないので、そんな期間も休まず力を蓄えた周りからの侵略にいつしか敗れる。壊滅してなにもない最初に戻るか。そのままじんわり消滅していく。あるいは、相手に支配されて、取引相手の確保や連鎖倒産を防ぐために、家畜化?使役されようになる。





第1ステージ  サバイバル期

例えばサバイバル開始直後、先ずは生き残るためだけに水や火の安定化のためにあくせくしている期間。会社でいうならば創業時。経営収支の安定化のために様々な改革や挑戦に明け暮れる期間。

このステージでは、生存確保が皆の目的として明確に機能して一致団結できる。様々な挑戦や頑張りが行われ、目にみえる形でその結果や成果が生まれ、それがまた挑戦改善やらへの原動力になりよくまわる。高度経済成長期。男性脳の遺伝的な問題解決思考と合致していて、男は男らしく振る舞い、その結果で生き死にが分かれる原始の時代と構造は一緒。

このステージの問題点は、原始や自然状態に近いため、とにかく”能力がある”ことが偏重され能力による差別や侮蔑が生じやすい。しかし、社会全体では上向きであるので、陰湿や最悪な差別腐敗にはなりにくい。



第2ステージ  生活安定化期

軌道にのって安定化してくる時期。生き残るために全てを費やさなくてよくなり自由や余暇が生まれる。強制力がなくなると各自の気質や、できるだけ楽して結果を出したい(楽に獲物をとりたい)という生物の基本行動原理が表に出てくる。

仕事(生産活動や外向き前進成長の活動)から離れて、内政というか内向きの活動、便利さや快適さ楽さというものを満たそうと動く人間が増加してくる。まずは、目にみえやすいモノや絶対的な指標(味とか時間とか)を満たす。物欲社会へ。豊かになった幸せだと語りだす。

このステージの問題点は、1で勝ち得た成果を、快楽や楽を得るため、消費のために大量消費しすぎると、負の遺産が出来て後のステージの足を引っ張る。



第3ステージ   心の充足 感性重視期

生活の安定期が長引くにつれて、安定と平和の時代に生まれた人が増加するにつれて、第2ステージ的な人が増えていく。しかし、既に第2ステージでモノが溢れつつあるので、このステージでは、更なる付加価値として心や感覚やイメージを満たすか?というモノを離れた心の充足を満たす行動へとシフトしていく。芸術や音楽や大衆娯楽もますます盛んになる。しかし、心は自分で足るを知らなければ満ちることはないので、心の消費文化はますます加速していく。

このステージの問題点は、心に腐心するために、自分自分!という個人主義、快楽主義、刹那主義、閉塞感厭世感(たるをしらなければ満ちることはないため、)が増す。一方で、第1ステージのように純粋になにかを成し遂げようとする人が一部活躍する。後は、自分自分ばかりで、社会に興味を無くすので、なにかを利用して成し遂げようとする人らが、その安定で得た富を集め易くなり、腐敗する。つまりは、共感やポピュリズム、刹那主義、快楽主義。多様性化、権力の腐敗等に繋がる。



第4ステージ  滅亡の開始期

第3ステージで、人間の時間や開発や挑戦やらのエネルギーを、心の充足という内向きばかりの力に使って弱体化していると、その間に力をつけた外からの敵にやられる。戦争で滅亡する場合もあるし、長期的になぶられる(経済戦争な)こともあるだろう。徐々に弱体化していく。

歴史上、そうして様々な国文化文明が生まれて滅んでいった。しかし、現代では、資本の大集積化と、技術の高度化により、一度大きな差がつくと、取り返せない事態になっている。剣同士で滅ばされても、新しい文化種族らがまた剣を作ったり奪いとって、また競いあうことができたが、最先端テクノロジーはそれを作り出すのにも無数の技術や大がかりの資本が連なるので、もはや歴然とした差になると追いつけない。



第5ステージ  生殺与奪を握られた家畜化期

勝利した側は、さらに自らが強く大きくなるために、負けた側を良いように利用しようとする。今から五十年から百年程度の未来の話。とはいえ、無駄に過酷に搾取する必要はないので、連鎖倒産にならないよう市場を管理しながらそこそこ操る。傀儡政権や属国扱い、家畜化。

庭の家畜小屋でそこそこ清潔で衣食住は満たされている。ただ、本宅の人がしている物凄いエンタメや道具を遠くから少し羨ましそうに見ている状態になる。少しお金がある家畜小屋は、そのおこぼれ中古を使って、そこそこ暮らせている!と自負する。お金がない家畜小屋は、そのおこぼれすら手に入れることもできずに、どんどん数も減っていき、生活水準文化水準が落ちていく。突然変異の優れた一部は、小屋を飛び出して本宅の人と肩を並べたりもする。経済破綻した国、徐々に暮らしが落ちている国。日本から見た途上国と向こうから見た日本。今も既に始まりつつあるように思う。

このステージの問題は、問題を問題と認識されにくいことだ。緩やかな経済戦争は変化もゆっくりでこうして言葉にされないと認識しにくい。また、問題が大きすぎるため、個人でどうすることもできずに、問題として扱うこともできない。




もし勝ちたい、生き残りたいのなら

第3ステージにまでは必ず到達する。その時に、第4ステージである敵を想定して、常に備えておくことにつきる。頭で考え、備えて作っておき、訓練して手を動かして、いざという時にすぐ動けるようにすることにつきる。

あるいは、変化、前進、挑戦、訓練(お試し)ができる人。第1ステージ気質の人に、権力と立場を与えて、彼らにあがき続けて、彼らに周りの人を動かしてもらう方法もある。色々あがき続けることが備えに繋がる。

変革者は必ず外からくるの記事で書いたが、内部からはそうした変革者は生まれない。なので、潰したくないのならば、気合いを入れて必死に備えるべく努力するか、権力や権威をその人に譲り渡せばよい。国や社会では非現実だが会社ならばまだできる。




おわりに ~資本主義の矛盾~

人間はあがき続けなければいけない生き物なのだろうか。いや私は、人間は幸福を目指す生き物であるべきだと思う。

第1ステージのように、あがくチャレンジする人も報われればいいと思うし。第2ステージの快適や楽を追求する人も報われればいいと思う。第3ステージの心に偏った人も、報われればよいと思う。そもそもその時に応じてコロコロ変わったって変わるのが人間なのだし、全部を肯定したい。

この資本主義の経済戦争合戦は、あがく人しか報われない。それも永久に競いあわされる。不毛だと思う。また生物として1つの主義にかなり片寄りがあることも多様性がなく不安である。

お金は腐るべきで昔書いたけれども、資本がずっと残り力を持ち続けることが原因だ。資本に価値があるから集めたがるのだ。本当は、人間の幸福と成長(前進)に価値がある。この前進は、理性で満足することもできるし、感性の心で満足することもできる。理性と感性の対立矛盾も解決する。

つまりは、皆が好きなようにやる自分自身の成長が、そのありのままに、自分と皆を幸せにする、そういう自らの前進と幸福にもっとシフトした社会になればよいと思う。

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