noteオワコンやnote疲れ、note(SNS)の構造的な繁栄と衰退について

先週の記事頃から、noteやばない!?感が急に強い。アクティブユーザー数が激減した実感が自他の記事のスキ数の変化で感じる、季節とか時流による一時的なものかもしれないが、●百万人のユーザーがいる!と言う割に、今日のおすすめが100スキ記事な時点で、いろいろとお察しな気がする……。さて、今回はそんなnoteについてタイトルの視点で整理してみようと思う。意外と長文になりました……。






note(SNS)と人間の行動本質

そもそもnoteやSNSを利用するという行為が、一般的な消費行動とは異なる。一般的な消費行動とは、1000円払って、それに見合うとされる対価(財やサービス)を受け取る行動のことだ。例えば映画を見るみたいなものだ。あるいは、ネットサーフィンして時間を使って、新しい情報を得るも同様だ。

消費となにが異なるのかと言えば、それはSNSのネットワーク性、社会性と閉鎖性にある。1000円払ってその映画(財やサービス)がつまらなければ、その作者や出版社やらはなにがしらの基準で、次からはもういいや!という形で、資本主義の原理で淘汰されて刷新され改良されていく。しかし、人がSNSに求め捧げて得るものは、消費行動とは異なる。社会的行動とでも名付けようか。


享受側・参加側
1、ファンや信者として、特定のかなり上にいる人からおこぼれを貰うこと
2、自分の少し先を行く先輩や先達から何かを得ようとすること
3、同じ興味関心の同レベルの友人を得ようとすること

提供側
1、お金やファンを得ようとする事
2、地位やステイタスの向上(箔をつける)

ーかなり隔たりがあってー

3、ただ何かを提供、upする層(なにか書きたい、共感されたい、とりあえず書く。)


社会的行動を紐解けば、利用寄り側と提供寄り側でそのモチベと行動原理で異なる特性がある。利用寄りの人は、さながら消費的行動と同じつもりで何か価値のあるものが得られる、欲しいと同じ行動原理で動こうとするのかもしれない。ただし、友達集めもかねようとしている側面があり、消費行動とはやや異なる。

一方、提供寄り側は、そこでの一攫千金を狙っている。あるいは、他のメディアやらと連携したり、いずれ本を出したりするためのストックやら、複合的に自分の付加価値を高めていこうとする上昇行動の1つとして用いたりする。そこからかなり隔たりがあって、それらの名誉金なものとはかけ離れた、単なる個人の快の感情ベースというか、何となく好きだから書く。書くのが楽しいだけ層がいる。





noteやSNSの発展と衰退

こうした二種類の人間の行動で構築維持されていくのがSNSである。運営はその動きの促成や抑制をコントロールしようとする。各SNSによって、変数が異なるので発展と衰退の辿る道は多少異なるが、大体似たようなステージを経て終了するだろう。

変数とは

・提供側1と2のモチベとコンテンツ質の維持
・提供側の3のモチベ(再生産維持率)
・質の低下や飽きによる利用側1と2の利用控えや離れ
・思ったよりも繋がれなくて寂しがる利用側3の利用離れ

つまり、noteが美味しい市場(利用者が多い市場)であれば、提供側の1と2の層が参加して活性化して面白く良質なコンテンツを提供してくれる。利用者はそれに満足し対価を払いその関係が維持される。しかし、ある点を越えて、みあわないと判断されると、トップ層の人程その影響が大きいので、上から順に抜けていくことになる。100円の10%減と、百万円の10%減では価値が異なるわけだ。

すると、コンテンツの質が下がりなんか最近面白くなくなったと1や2の利用者が離れていく。後は、上から抜けていく繰り返しで。下げ止まりが起きるある点で落ち着くも、落ち着きながら徐々に下落していく。

最後は、利用者3の友達がまだ使っているからやめないよ~な、ただのたまり場扱いの運営側には美味しくない層。同様に、ただ書くことが好きという利用者1や2が喜ぶコンテンツを提供できない(腕が悪いか、視点が違いすぎる)提供側の3だけが残る。こちらはまだたまに当たりがでるかもしれないが、運営側から見ればそれほど美味しくはない。





ステージによる繁栄と衰退の分類説明

1、リリース期、認知期

今までにない価値を!ということで作り出されるのが新規サービスなので、興味をもってもらったり、そこに潜在的な需要があれば、その新規SNS型サービス(俳句でも写真でも音楽でもゲームでも。YouTubeでも)は成立する。


2、新規大量参加期

なんか面白そう、そういうのやってみたい!な人がある点を越えると、認知が進みそこから爆発的なサービス人数の増加となる。新しさを楽しみ、そこの賑やかさを楽しみ。まずは使ってみている人に溢れている。新しくできたお店が良さそうだからとりあえず行ってみるのと一緒だ。


3、目ざとい提供者の乱立期、繁栄期

人が多いことがそもそも旨みを作り出すので、2の様子を聞きつけて、1や2のタイプの提供者が参戦してくる。コンテンツの質が向上し、相乗効果となって、さらに利用者を増やし右肩上がりで繁栄していく。


4、頂上期 飽きと慣れと見限りの始まり

順不同であるが、

いちげんさんがすぐに飽きて離れる
慣れてきて飽きる
思ったより楽しくないと判断される(質が悪い)
思ったより旨みがないと判断される

の各参加者の熱量が変化して、これらが混ざりあって繁栄(流入増)よりも、衰退(流出増)に転換する。


5.下降期

トップ層がいなくなったとしても、似たようなトップや連なる人がそこに置き換わるので、緩やかな下降衰退を見せる。4の力学は働き続けるが、すぐに見限るタイプもいれば、愛着というか行動傾向を変えにくいタイプもあって。すぐさま肌感覚としてあらわれはしない。

6、衰退期

上で書いた通り、提供者の3や利用者の3はそう抜けることはなく。やりつづける。しかし、提供者と利用者の1と2は確実に減り続けていく。どちらが先とも言えないが、その減少の効果が提供側と利用側の3にまで波及し始めると、そのSNS自体への価値がかなり希薄になり、引っ越しが検討される。今まではそれでも15スキついたりしてたのに、今じゃ3スキしかつかないとか。笑 ちなみに勝手な私見だがnoteはいまここまできている気がする。


7、絶滅期

6であるという認識が全員に広まると、提供者の3まで抜けだす。自分のために書く層なので、簡単には抜けない。しかし、それでも反応だったり、自分の発信への感触を求めている部分はあるからだ。そして、最後には利用者の3しかのこらずに、生産もなにもないたまり場となって。不毛の地となり、運営がサービス停止を発表する。






SNSの構造的欠陥

SNSは、こうして色々掘り下げてみれば、シンプルにした国の経済競争や国同士の戦争のように理解できる。経済的な循環確保(外貨獲得)による自国の維持と経済力の向上確立、質の担保。そして、需要と供給やその流通網の整備によるそこでの満足度の向上による住人国民の定着というわけだ。

リアルの経済であれば一番の外概念は、地球資源でありひいてはそれを生み出す太陽のエネルギーだ。そこからの生産物が巡り巡って生活生命の土台や経済の土台になり、そしてそれを糧にもっと便利な良質なものを人が生み出しお金にする。しかし、SNSには太陽も地球もない。自然発生的なあるいは、そこに埋没されている資源はあまり採掘されない。

ここに構造的欠陥を抱えている。そのSNSが外貨獲得をして潤いコンテンツを維持するということは、SNSの外概念や存在を必要とする。例えば、YouTubeでは、企業からの広告収入が該当する。じゃぶじゃぶ集まるお金をみんな欲しがってレースすることで、SNS内に良質なコンテンツが供給され続けているわけだ。しかし、そんな一部の例外を除いて、普通のSNSはそうはいかない。

こうなると取りうる道は3つだ。
1、内部循環の最大化
2、運営による利用料の徴収と還元(運営の取り分は確保しつつ)
3、自然に何かを生み出し続ける利用者3や提供者3の層の力の最大化

ツイッター(X)が、2の手段をとろうとしているし。あるいは、paypayみたいに最初からこの2のモデルに移行することを視野に入れて稼ごうとするビジネスモデルもあるだろう。お金を集める算段をつけてコンテンツや運営の質の担保を計画する。あるいは、そのSNS内で、お金のやり取りが最大化することで(内訳を見れば、出す方が多い人、もらう方が多い人はでてくるが、互いに満足していれば、OK)、でやり取りの金額が増えれば、それがコンテンツ生産の動機づけになり、質の担保に繋がる。最後は、私はやはりここを推したい。ただ書きたいと思う人、この人のエネルギーやここを最大化することができれば、地球資源や太陽エネルギーみたいに、それが再生可能で時速可能な本当のエネルギだと思うからである。





おわりに

やっぱりお金の力は強大だと思う。その構造体で、お金が稼げたり、箔がつくのならば、提供側の1と2が保証されて繁栄する。地下アイドルや売れない同人ゲームサークルがいずれ解体されていくのも、当然だ。旨みの低下でモチベ低下で質の低下でもって、利用者離れでいつか潰れるのだ。

noteも、公式が賞レースを企画して箔をつけさせる機会を増やしたり。新しい収益方法(サークルとか?)を導入するのは利にかなっている。頑張っている。しかし、やはり大本の営業損益というか本業本体の記事だけでお金がどうこう増えなければ、人は離れていきやすいだろう。

さて、少し話は変わるがそもそも文章を書き続けられる人間というのが5%から10%らしい。(ネットを調べていたら個人のそんな推計がありました。学校のクラスの顔ぶれを考えたとき、妥当な数だと思いました。物書きする人はそういないわな。) 

文章というコンテンツを生産できる人は限られているのだ。これが、他のSNSならば個人の再生産維持率(写真投稿の方がストレスが楽等)という変数が高くて、もう少し衰退は緩やかだろう。しかし、仮にコンテンツの数が多くても、質が悪ければ全く意味はない。そして、質がよくても出会えなければ全く意味はない。衰退期や下降期こそ、本当に求めている人同士をマッチングさせて、無駄を省き、一番質ののよいものをマッチングさせて満足度をあげなければならないと思う。そして、次のスターがいつかでてきたり、入ってくるのを待つことになるのだろう。

文章を書いて繋がれるSNSは、今まで人が知らなかったに海や公園を提供してくれたかもしれない。しかし、好き勝手に遊ぶ人ばかりで、結局、本当に遊びたい遊べる人同士を結び付かせなかったと思う。システム的にマッチングの向上がはかれないのならば、後は、分類して細分化するしかないと思う。それはそれで、新規参入者を締め出すことにもつながりかねない。どこの業界も人を集めて裾野を広げて、繁栄したいと思っているのだが、それができずに衰退していくわけだ。もう少しここの最適解をほりさげられたら、また書こうと思う。

最後になるが、コメントするでも、作品の感想を書くでも、なにかするでも、あなたのその生産的な行動は、全てその業界の繁栄に一役買っている。あなたの動きが勢いや賑わいになるかもしれないし。直接、誰かを動かすかもしれない。自分の内からのエネルギー、それは自然な持続可能エネルギーだと思う。

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