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初・自分にオッケーの感覚をつかむ

6月下旬から受け始めた、全6か月の講座の3回目。
講座を受けたあとの気づきが、あまりにも多かったDay3⇓
「しあわせノート講座」@稲葉さち Day3|kokoro (note.com)
長文になったが、まだ続きがある。

Day3で出た宿題からの気づきを、メッセージでさんざん、さちさんとやりとりした後に、先日から感じている心の変化をついでに伝えちゃおうか、あつかましいからやめようか、迷ったすえについに送ってしまう。

私はさちさんの無料講座を受けたあと、どうしても、今、講座が受けたくなって、でも、ドールソファ作家を本業にしてからまだ、売り上げが安定せず、受講料が払い続けられるか心配だった。

でもどうしても受けたくて、バイトすることにした。
もう好きなことしかやらない、やりたくないことはやらない、と心に決めて、収入が少なくたってこれでいいんだーーー!と思っていたけれど。

さちさんの講座を申し込むと同時に、自宅の目の前のスーパーで、夜の短時間バイトに応募。

以前の私なら、へんなプライドから、絶対選ばないような職場。
でも今、勤め始めて2週間。働いている最中に、自分の心のありように感動を覚えていた。

この感動を、誰かに言いたい。でもパーソナル過ぎて、ちょっとためらう。
でも昨日会っていた友人に、ちょっと言ってみたら
「いいじゃ~~ん!」と面白がってくれた。

だから、それをさちさんにも言いたい。でも重いかしら、うざいかしら。
でも・・朝のメッセージのやりとりからエネルギーを得て、言っちゃおう。

「先日からバイトを始めたと話しましたが、スーパーの夜バイトは受講料を捻出するためです
以前の私なら、プライド高くてそういうバイト選びませんでした

でも今は、本当に必要だと思っていることのためにやっているから、プライドが1つもゆるがない。
むしろ、これのおかげで受講できると思うと、感謝の気持ちいっぱいでバイトしてます

ほんと、以前の私だったら、川崎の、スーパーの、夜の、バイト、全部の要素が底辺!って思って、そこにいる自分をみじめに思ったと思います
(昔の私の、完全に偏見。川崎の皆さんにぶん殴られそう。ずっと千葉から出たことがなかったような奴だから許して。今は住みやすくて離れられない。スーパーの、夜バイトの、方々もごめんなさい。)

でも今は、本業で(あんまり稼げてないけど)本当に好きなことをやっていて、応援者も仲間もお客様もいる。
心から伝えたいことがあるから、それの為に、これだ!と思った勉強をしている。納得感

そしたらスーパーの夜バイトしてる自分にも誇りが持てる

自分が勝手に作っていた価値観や、ものごとは気持ち1つで見え方ががらりと変わるということを、体感しています」

と送信。
そうなの。働いている最中にも、ゆるがない「私」を感じる。
職業、服装、なんかに、なにひとつ影響されていない「私」を感じる。
深夜にスーパーで働きながら、この感覚に一人「おおおおおーー!」となっていた。ここだけの話、なんなら、「アーティストがちょっと今だけ、現実界に降臨している」ような感覚すらある。

これを友人に話したら、
「夫婦でお店開く開業資金を稼ぐために、宅配便の仕事めっちゃがんばって、2年で資金貯めた人とかいるけど、同じような感覚なのかもね」と言っていた。そうかもしれない。誇り高く、そして、この仕事で稼げて夢に近づける感謝を胸にがんばってたのかも。

もう好きなことしかやらない、やりたくないことやらない、っていうのが、今後の人生のポリシーだったけど、それすらもなんも揺らいでいない感覚がある。人から見たら「かっこいいこと言って、もうバイトしてるじゃーん!」って見えたとしても、関係ない。これは、本当に心から望んだことを今着手するために、自分で選んでやっている。全力オッケー。すぐ雇ってもらえて感謝しかない。

そしてさちさんからの返信。
「まさに、どんな自分もokを
体現しているじゃないですか💕
自分を認めるチカラ💪
自分で選択するチカラ💪
自分を信じるチカラ💪」

おおおお、そうかぁ。これが、世によく言われる「自分にオッケー」というやつか・・・感慨深い・・・。
今、初めて、情報と体感が繋がる。
そうか、これが・・・・。どんな自分でもオッケー・・・。

この感覚に至れたのは、バイトの前段階に、
・本当に好きなこと、を本業にして心から活動を楽しんでいる日々
・どうしても伝えたいことがある、そのために必要な学びをしたい。
という、「心からの衝動」を、掴み、実行できる私になっていることがある。

以前の、私を大切にしてもくれない人に依存し、辛い出来事をなかったことにして表面だけポジティブ変換して明るくして、自分ができること、かつ、見栄えのいい仕事、の制限の中で選んだ「好きな」仕事を、「私は好きな仕事をしている」と思っていた私には、「どんな自分もオッケー」は、情報としては入ってきても、なんの変化も起こさなかった。だからこんなHow toは詭弁だと思っていた。

「土台」が整いはじめてるから、教わったことが、受け取れるようになったんだ、きっと。

そしてさらに、気づきは続く。

川崎の、スーパーの、夜の、バイト、が恥ずかしい職業だという感覚は、私のものか?私はこの基準を、どこから採用した?
千葉の街でずっと育って働いて暮らしてきて、父が会社員、母が専業主婦だった私の、ちっぽけな価値観の外側にあるもの、というだけだ。
私の妄想の中で、地元の同級生にバカにされるだろう、とか、この年齢で会社員じゃないと人に言えない、とか、両親ががっかりするだろう、とか、他者からの評価を勝手に想像して、採用したものかも。
川崎をどんな街だと思ってたんだ、コラ。
それぞれの人が見ている世界の狭さを、思う。
頭ではわかっていても、なんとなく無意識レベルで持ってしまっている感覚がある、ということも今認識。当然といえば当然かもしれないし、悪いこと、でもないのかもしれない。
でも、自分を制限するものだったら、気づけたらとっぱらえたら、いいんじゃないだろうか。だって今私、スーパーの夜バイト楽しめる自分、1つ制限の外れた自分が、無性に嬉しい。自分の価値に影響がある感覚もない。私の価値は、変わらない。

あれ、2回に分けて書くつもりがまだ入りきらない。

気づきはまだ続く。

稲葉さち|しあわせノートカウンセラー(@sachi.cheerful) • Instagram写真と動画





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